三養荘

池泉回遊式庭園は別邸当時も今も変わらない由

腰掛待合だったと思われる庭の隅の小亭

『三養荘』は、古くから温泉保養地として著名な伊豆長岡にある。現在は同名の旅館になっているが、その本館部分は1929年(昭和4)に岩崎久彌の別邸として建設されたもので、数奇屋造りを基調とする和風建築は目の前に広がる和風庭園とともに、まことに完成された別邸であったことがわかる。

建物は南から『老松』、数寄屋造りの茶室を挟んで『木曽』『巴』『松風』『小督』の各棟が廊下でつながる。各棟の名は日本の伝統芸能である〝能〞に由来とある。

建物の東側が広い庭園で、それを見晴らす棟は『松風』と『小督』である。『松風』は岩崎久彌が自身の居間とし、また『小督』は書斎にしたとのこと。この『小督』は一番小さい棟だが、数寄屋造りに徹しており、開口部は障子と雨戸のみ。庭園の眺めも一番よく、この棟を中心に作庭したのではないかと思う。そして久彌が最も大切にしたのも『小督』と思われ、障子を開け放ち独居して庭を見る主人公が容易に想像される。

すなわち別邸『三養荘』の肝に当たる棟は『小督』に違いなく、ここで「完全な休息」をとり、また「ひとり静かに気を養う」主人公を想像することができる。

そうして眺める庭園は、枝垂れ桜や満天星の春、花菖蒲の夏、楓が紅葉する秋、寒桜の冬と四季の彩りを見せる池泉回遊式で、別邸時代の庭をそのままに拡大された3,000坪の庭園が今も愛好家を集めていると聞いた。(小林)

数奇屋造りの『小督」

明治日本の産業革命遺産として「世界遺産」に認定された『韮山反射炉』にも近く、多くの人々が訪れる静岡県・伊豆長岡温泉の宿『三養荘』は、旧三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎の長男・久彌氏の別邸として建てられた。その洗練された数奇屋造りの和風建築の周りを囲むのは、京都の庭師・小川治兵衛が伊豆箱根の連山を京都東山に見立てて作庭した借景による庭園。

広大な庭に面して東向きに立つこの木造建ての別荘(現在は本館)は、"和"を強く感じさせる設えに。床柱、長押、軒桁、欄間など細部に至るまで技を凝らしており、日本建築ならではの細やかさを体現。南側に玄関を構え、その東側には最も格式が高い造りの『老松』が連なる。玄関北側2階建ての建物には四畳半台目の茶室と広間の座敷があり、奥には現在も客室として利用している『松風』『小督』が庭に面して雁行型に配置されている。

1947年に旅館として営業を始め、1987年には建築家・村野藤吾氏が設計した新館がオープン。現在は3,000坪の庭園と新館・本館合わせて36棟の客室が点在しており、ひとつとして同じ部屋がないことに驚きを感じる。
(協力=三養荘、三菱史料館)

三養荘

●住所/静岡県伊豆の国市墹之上270
●アクセス/東海道新幹線「三島」駅よりタクシーで30分、または伊豆箱根鉄道に乗り換え19分、伊豆長岡駅よりタクシーで平常時5分、東名高速沼津I.C.より国道136号線・ 伊豆中央道(伊豆長岡北I.C.)で19km

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。