氷川丸

氷川丸の操舵室に立っていただいたのは第28代船長の金谷範夫さんである

氷川丸の救命ブイ

氷川丸が好きである。もともと海好きであり、また子どもの頃から船が好きだった。けれども実際に船に乗ったのは屋久島とか小笠原父島への往復程度だ。戦後、海外渡航が自由化された頃はすでに空の旅の時代で、大洋を往く船には乗りそこねたのだ。

なので、横浜・山下公園前の桟橋に氷川丸が係留されたのは一大事だった。当初はユースホステルに使われたと記憶するが、横浜山手に住んでいた伯父と一緒にビアガーデンめざして”乗船”したのが最初で、その後わが子にオーシャンライナーを教えるべく連れて行ったり、レストラン営業時代には一等食堂の贅沢を一寸だけ味わった。昭和初期モダンのインテリアは有名だけれど、各所に使われている真鍮金具に感心した。

その氷川丸にこのほど改めて乗船して、改装されたとはいえ公開当時と変らないところに安堵したが、歴史展示を見て氷川丸の運命のすさまじさに驚いた。世界に冠たる海運日本の貨客船から戦時中の交換船、海軍病院船、何回もの触雷、さらに敗戦後の引揚船、食料輸送船、そしてまた北米航路、欧州航路への復帰と昭和の日本史そのものの氷川丸なので、この稀有な船はどうあっても末永く保存すべきだと思うのだが、そこで第代氷川丸船長・金谷範夫さんがこの船は舵もプロペラも外して動けないので、ドックに入れて修理できないのが問題ですと言われたのが心配になってくる。そんなところへ今度の〈国指定重要文化財〉という大ニュースだ。海、船好きの力を結集して、氷川丸よ永遠に。(小林)

ボートデッキから見上げる煙突と救命ボート

戦前に造船された大型貨客船として唯一現存し、海上で保存される船舶としては初の重要文化財に指定された日本郵船・氷川丸。1930年、横浜船渠株式会社(現・三菱重工業株式会社)で竣工し、当時の最新鋭大型・高出力ディーゼルエンジンを2機搭載。最高速力は18.2ノット(時速約34km)。北米航路シアトル線に配船され、11年3ヶ月間、太平洋を横断する貨客船として活躍した。戦前は豪華貨客船として、戦中は海軍病院船として、戦後は引揚船として、数奇な運命を辿った氷川丸は、今も海上に悠然と佇んでいる。

明治維新後、日本の海運業の発展をかけて、国内外の海運会社と激しい競争を繰り広げた岩崎彌太郎率いる三菱(当時・郵船汽船三菱会社)。その激闘の終焉により誕生した日本郵船は、日本を英米に次ぐ海運国へと導いた。そんな日本の海運業の歴史は、氷川丸のある山下公園から徒歩15分ほどに位置する日本郵船歴史博物館で知ることができる。ぜひこちらにも、足を運んでほしい。
(協力=氷川丸、日本郵船歴史博物館、三菱史料館)

氷川丸

●住所/神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先
●アクセス/みなとみらい線「元町・中華街」駅4番出口より徒歩3分、JR「桜木町」駅1~3番バス乗り場より26系統であれば「山下公園前」下車すぐ、その他のバスは「中華街入口」下車徒歩3分、JR「横浜」駅東口シーバス乗場より終点「山下公園」下船すぐ
ご来館の際は、入館料や休館日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。

閉じる
SNS gallery
お気に入りに追加されました

お気に入り一覧へ

まとめて資料請求できるのは5件までです

OK

お気に入りに登録にするには
会員登録が必要です

会員登録するとマイページ内でお気に入り物件を確認することができます。

会員登録