吉池旅館

吉池旅館

温泉の一つが庭園の中にあり渾渾と温泉が湧き出ている

箱根山は新旧ふたつのカルデラと7つの中央火口丘からなる三重式火山と、ものの本にある。カルデラというのは火口ではなく、火山にある大型の円形凹地と説明がある。ともかく箱根山は大規模にして複雑な火山なのだ。

その箱根山は複雑なだけに温泉、名所旧跡、観光施設、別荘や保養所など数多いので人気があるのも当然だ。

また大規模にして複雑な地形のせいでハイキングに手頃な山頂や稜線がたくさんあるのも箱根のありがたいところだが、ぼくがそれに気づいたのは中年になってからだ。それまで温泉だけが箱根と思っていたのだが、手近なところに山があったと気づき、それまで遠くの山にばかり出かけていたのを改めて近くの箱根山にも行くようになった。

歩いてみると箱根の山々は、それぞれ個性があって楽しい。対照的なふたつの中央火口丘の神山と駒ヶ岳、富士を見るなら外輪山の金時山、箱根全体を見渡す明神ヶ岳から明星ヶ岳などハイキングコースも数々あるが、こっそり教えたいのがトロイデ型火山の屏風山だ。

箱根町の関所跡入口が登山口で、急な登りもあるが1時間ほどで屏風山山頂。山頂の展望はないが、屏風山保健保安林となっているように名札を頼りに樹木を見て行く植生観察の山なのだ。下山は旧東海道の甘酒茶屋近くへ約40分。短いコースだが箱根の自然を充分に体感できる。

このあとできれば、石畳道の残る旧東海道を下ってみたい。昔の道は味わい深く、箱根越えの旅人が休んだ畑宿には旧街道の一里塚がある。奥湯本入口で滝通りに入って須雲川沿いに行くと、対岸に広大な庭園があるのに気づく。自然を取り込んだように見えるこの庭が実はこのページで紹介する『吉池』のものと、滝通りに入って須雲川本流に架かる3つ目の橋(弥栄橋)まで来るとわかる。(小林)

吉池の庭園図

箱根湯本の老舗旅館として名高い吉池旅館。開業は1940年だが、旅館が所有する1万坪の庭園と、園内にある木造平屋の建物「旧岩崎彌之助邸別邸和館」には、さらに30年以上古い歴史がある。

1902年、三菱2代目社長・岩崎彌之助は、欧米旅行の際に訪れたスイスでの見聞をきっかけに、帰国後すぐ箱根での別荘建設に乗り出した。前述した和館は清水仁三郎に設計を委ね、広大な回遊式庭園を取り入れた。庭園の池は近くを流れる須雲川から引き入れ、草花や石ひとつに至るまで吟味し、全国から集めるほどのこだわりようだったという。和館が完成すると、今度は三菱ゆかりの建築家ジョサイア・コンドルに、洋館の設計を依頼した。水辺に建つ、煉瓦造りの、瀟洒なヴィラ風の建物。それは彌之助がスイスで感銘を受け、心に描いたものだった。だが1908年、竣工まであと数ヵ月というときに彌之助は逝ってしまい、土地はすべて息子の小彌太に譲られた。完成した立派な洋館は、現在「池の棟」がある場所に、関東大震災で倒壊するまでの15年間存在した。その間、洋館には国内外の要人が数多く訪れ、昼には散歩を楽しみ、夜には池に舟を浮かべて月見を楽しんだという。

1998年、天災と戦禍を免れた和館は、国の登録有形文化財に指定された。今日も当時の姿をとどめ、旅館を訪れる人々に親しまれている。
(協力=吉池旅館、三菱史料館)

吉池旅館

●住所/神奈川県足柄下郡箱根町湯本597
●電話/0460-85-5711
●アクセス/電車の場合:箱根登山鉄道「箱根湯本」駅から徒歩7分、車の場合:東京方面からは小田原厚木道路・小田原西ICより国道1号で約15分、大阪方面からは東名高速道路・御殿場ICより国道138号で約45分。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。