1972年(昭和47年)6月、「泉パークタウン」第1期起工

住民とともに、50年先100年先を見据えた街づくりに取り組む

パート3
40余年を経たシビルライセンスのいま

常に緑が視界に入る工夫

幅40mのメインストリートの両脇にはそれぞれ幅40mの緑地帯

幅40mのメインストリートの両脇にはそれぞれ幅40mの緑地帯

泉パークタウンを訪れると驚くのは、その緑の豊かさだ。幅40mの道路を挟んで、その両脇がそれぞれ幅40mの緑地帯となっているメインストリートをはじめ、どこに立っても街並みを包む豊かな緑に癒される。常に緑が目に入ってくる理由を藤岡が明かす。

「泉パークタウン内の道路は、意図的に緩やかなカーブを描くようにしています。その結果、常に正面に街路樹の緑や住宅の緑が目に入ってくるのです。計画地全体に対する緑地の割合、いわゆる『緑地率』も大切ですが、人が街に立った時に目に入る緑の割合である『緑視率』を高める工夫がなされています」

また道路については、住宅街区内では交差点は道路が交差する十字路ではなく、T字路を基本とし、出会い頭の事故を防ぐ構造になっている。さらに住宅街区内からメインストリートに出る部分にはカラー舗装を行い、ドライバーや歩行者の注意を喚起する工夫をしている。これらも綿密なマスタープランが存在したから実現した取り組みといえるだろう

交代した街の主役

ドライバーや歩行者の注意を促すカラー舗装

ドライバーや歩行者の注意を促すカラー舗装

公園に設けられたモニュメント

緑地帯の中は、まるで森のよう

1974年に分譲を開始してから、40年あまりが経過した泉パークタウン。半世紀に近づこうとする年月の中で、何が変わり、何が変わらないものとして存在しているのか。

分譲当初は、「シビルライセンス」という新しい考え方を実践し、定着させるために、デベロッパーである当社が主導して街づくりを進めていく側面もあった。しかし、泉パークタウンサービスのトップとして常に街の空気に触れ、また自身も泉パークタウンの住民として家族とともにこの地に暮らした藤岡は、40年あまりの年月を経て、街づくりの主役は完全に代わったと感じている。

「町内会が主催する清掃活動や地域の会合が頻繁に行われ、活発なコミュニケーションが図られています。さらに隣接する宮城大学の学長を招いて泉パークタウンに関する協議会を発足させるなど、住民の活動はますます広がっています。もちろん我々も必要な協力は惜しみませんが、デベロッパーは一歩引いて、この街のサポーターとなっています」

泉パークタウンの特徴でもある植栽帯の維持についても象徴的なエピソードがある。

セミパブリックスペースの植栽帯は、住民の方には分譲時に三菱地所が設立した管理組合に加入、出資していただき、その基金によって維持管理を行う仕組みになっていた。この組合は10年を設置期限とし、その後は住民の決議によって維持することも解散することもできた。だが今まで、管理組合がなくなった例はなく、住民の大多数の賛成によって、管理組合が維持され続けている。

「多くの住民の皆様が、毎月、一定のコストを支払っても植栽帯を維持していくことに賛同したのです。建築協定の範囲内であれば、その土地は自分の使いたいように使うこともできます。しかし街の景観を守り、心地よい環境を維持していくために、住民自らがそのような選択をされた。この意味は非常に大きいと思います」

藤岡は感慨深げにそう指摘する。

現在、約9,900世帯、26,000人の人々が暮らす泉パークタウン。40年あまりの年月を経て、街の主役が代わっても、ゆるぎなくそこにあり続けるもの。それが「シビルライセンス」の思想だ。

ザ・パークハウスを紐解く、6つのストーリー

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