ザ・パークハウス ストーリーザ・パークハウス 白壁三丁目
2016年10月26日
「ザ・パークハウス 白壁三丁目」は、かつて歴史的な建築物があった跡地に計画されました。
眺望が良い高台のその地に、オレンジ色の大きな屋根が特徴の邸宅が建てられたのは大正9年。明治時代に欧米でも活躍した女優と電力王と呼ばれた実業家が暮らしました。そのような場所に誕生したのが、 「ザ・パークハウス 白壁三丁目」です。
その土地をいかに取得し、どのような開発をしたのでしょうか。担当者の誠意が成功に導いた、「ザ・パークハウス白壁三丁目」をご紹介します。
大正のサロン文化の発信地
もともとは約400年前、名古屋城が築城された時から、城にほど近い白壁は尾張藩の武家屋敷が建ち並ぶ地域でした。近代に入ると、この地は豊田佐助や陶磁器の輸出で財をなした春田鉄次郎など、成功した実業家たちが住む地域として知られるようになります。
そのなかに、川上貞奴と福沢桃介のふたりもいました。貞奴は日本初の女優として舞台に立ち、パリの社交界も魅了した女性です。桃介は、後に「電力王」と呼ばれた偉大な実業家です。
大正から昭和にかけて、ふたりは当時の東二葉町、現在の白壁三丁目の邸宅で暮らしました。約2600坪という敷地に建てられたその邸宅では、しばしば紳士、淑女が集う華やかなパーティが催され、“二葉御殿”と呼ばれたといいます。つまり、ふたりの暮らした“二葉御殿”は、当時のサロン文化の発信地だったのです。
二葉御殿は桃介が興した大同特殊鋼の迎賓館として使われた後、2000年に名古屋市へと寄贈されます。そして2005年、二葉御殿は名古屋市によって移築・保存されることになり※、跡地の活用が検討される運びとなりました。
その際、三菱地所レジデンスはこの土地にふさわしい、真に価値ある住まいを作りたいと手を挙げることとなりました。
当時、二葉館の跡地は、複数の地権者が所有されていましたが、三菱地所レジデンスは、地権者の皆様の想いを尊重し、その想いに応えられるよう、何度もプランを見直しながら、計画を検討していきました。
- ※
- 文化のみち二葉館HP http://www.futabakan.jp/
地権者の皆様には、誠意と熱意の正攻法
二葉御殿跡地の利用計画について複数の企業が手を挙げる中、最終的に選んでいただいた三菱地所レジデンスのプランは、次のようなものでした。
南北に長い敷地条件を有効に活用し、南向き、東向きの2棟構成の計画とします。1階は立派な木々や芝生の広場があった二葉御殿の面影を残す外構に、広々としたエントランス空間、専用庭付の住戸を、2階より上には住まう方のことを考えたゆとりある住戸を配するといったものでした。
1階の専用庭付住戸は、地権者様にこのマンションに住んでいただくというもので、しかもただ住んでいただくだけではなく、できるだけ以前の住環境を維持した住まいをご提供したいという想いでプランを練りました。
これは特に奇をてらったご提案ではなく、どちらかと言えば正攻法のアイデアです。けれども、「できる限り、元の住環境をご提供したい」という弊社担当者の誠意と熱意を認めてくださり、三菱地所レジデンスに跡地の活用を任せていただけることになりました。
三菱地所レジデンスでは、お住まいになる方のことを考えてマンションを開発します。同時に、地権者の皆様にも、「あの会社に任せてよかった」と思っていただきたいと考えています。
歴史があり、名古屋の方ならだれもが知っている白壁エリアの一角に、マンションを建設することが決まりました。そして、外観のデザインについてはさまざまなアイデアが出されました。
二葉御殿の外観を再現するという案も有力でしたが、ここでは別の決断を下しました。歴史は継承しつつも、新しいマンション像にチャレンジしたいと考えたのです。そこで、「モダン×クラシック」という方向性が決まりました。
モダンとクラシックの融合を図った意匠
白壁三丁目は、冒頭に記したように名古屋城築城にまで遡るお屋敷の集まる街でした。そこで、開発を担当したスタッフは、かつて武家屋敷が多くあり、その後は大使館などが建ち並ぶ東京都千代田区番町エリアで弊社が手がけてきたマンションの研究を重ねました。
一例をあげれば、両角住戸をハーフバルコニーにしたことも番町エリアのイメージを参考にしたものです。ハーフバルコニーを両角住戸に配したことで、外観の印象が日本家屋の雰囲気に近くなり、和の雰囲気を取り入れることができました。
特徴的なのは、南側のバルコニーに、様々な幅の縦方向の木調ルーバーを連続して設置したことです。そうすることで、凛とした表情が生まれました。
外壁の素材には、あまり華美でなく、落ち着きや上質さを感じさせるマテリアルを選びました。
このふたつを組み合わせることで、彫りの深い造形にシックな色味という、新しさを表現することができました。
彫りが深く、凛とした表情は、新しい世界観を表現します。落ち着いたテクスチャーや深みのある色は、伝統や歴史を継承しています。こうして、モダンでクラシックという個性的な建物が完成したのです。
その他の写真
企画担当からのメッセージ
当初は、名古屋でも多くの方がしっている場所であり、地権者の皆様のみならず、この地を知る人、周囲の方、この土地に縁のあるすべての方の想いに応えることができるのかどうか、それが大きなプレッシャーでした。
プレッシャーを感じながら、この土地にふさわしい建物づくりとはどういうものかを考えて計画を進めました。そうして辿り着いたのが、南北に長い敷地形状を活用したプランや、モダンとクラシックが融合した外観のデザインです。デザインにあたっては、東京都千代田区の番町エリアで多くの物件を手がけた弊社のノウハウが役に立ちました。
建物が竣工した後、地権者の方にお礼にうかがいました。すると、「とても良いものを作ってもらえた、御社にお願いして良かった」とおっしゃっていただきました。この土地を代々受け継いでこられた地権者様の期待にも応えることができ、この仕事をやっていてよかったとつくづく思いました。