「ザ・パークハウス 追浜」道路づくりからスタートした地域活性化プロジェクト。

プロジェクトリポート「ザ・パークハウス 追浜」 道路づくりからスタートした地域活性化プロジェクト。

[ザ・パークハウス ストーリー]

横浜市に隣接する緑豊かな海沿いの町、追浜。
工事用車両を通すための道路やトンネルづくりから始まった開発は、計画から竣工までに7年もの歳月を要することになった。
美しい眺望に魅せられた者たちが挑んだ、地域活性化プロジェクト。人、町、未来をつないだ想いに触れる。

text by Yuji Iwasaki
photos by Yoko Sawano

1948年に横須賀市追浜で生まれて以来、地域に根を下ろし、長く市議会議員を務めてきた嶋田晃氏は、自身が過ごした昭和中期をこう語る。

「子どもの頃は、犬を連れて鷹取山までよくハイキングに行っていました。美しい景色を望める尾根づたいをゆっくり歩いていくと、家から2時間くらいで山頂に着いたんです。町がにぎわうようになったのは1960年代ですね。もともと隣町にはトヨタ自動車系列の自動車メーカーがあったのですが、日産自動車が追浜工場を設立したことで関連企業が増えて、さらに多くの人たちが追浜界隈に住み始めるようになったんですよ」

嶋田氏が住んでいたのは、追浜駅の南東にある東町一丁目。鷹取山はその西側にあり、直線距離で約2kmほどだ。ハイキングしたというルート上で、最初に登った高台が、現在『ザ・パークハウス 追浜』が立っている場所にあたる。

『ザ・パークハウス 追浜』の開発プロジェクトが本格的にスタートしたのは2007年3月のこと。当時、企画事業部に所属していた関圭介が状況を説明する。

『ザ・パークハウス 追浜』のセントラルガーデン。地域に開放されている庭園スペースだ。

『ザ・パークハウス 追浜』のセントラルガーデン。地域に開放されている庭園スペースだ。

「計画地を地図で確認すると、そこは完全な山の地形でした。ただ直感的に、これだけの山であれば山頂付近の眺望はよいはずだろうと想像できたんです。実際現地に足を踏み入れてみると、眼下には東京湾が広がり、遠くにはみなとみらいの景色を眺めることができました。8haほどの広大な敷地で全体を見通せる場所はなかったものの、断片的に目にした景色を、頭の中で継ぎ合わせて全体像をイメージしました。そして、高低差を持つ土地ならではの眺望の魅力を生かすためには、インフラの整備を含めた、広範囲かつ綿密な計画を練らねばならないなと考えていました」

大規模プロジェクトでは、近隣に住む住民や自治体の理解と協力が不可欠だ。さらに宅盤からつくり上げる本計画では、ダンプなどの大型車両が一日に数百台も通行できる道路の確保や、700世帯を超える戸数に対応する水道の整備などが重要な課題になると考えたのである。

居住者専用の屋上庭園からの眺望。左手に見える小高い緑地は、横浜市金沢区の野島である。

居住者専用の屋上庭園からの眺望。左手に見える小高い緑地は、横浜市金沢区の野島である。

熱意が道路づくりを実現させた。

関は、開発当初から関わっていた建築設計会社『安宅設計』と連絡を取って解決策を模索した。安宅設計では隣接する山の開発にも携わっており、そこでも幅の広い道路が求められていた。当時、専務取締役だった平野和美氏(現・代表取締役)は、関係各所と話し合いながら、ひとつの結論を導き出した。平野氏が明かす。

「どちらの開発案件も、追浜の町全体を活性化させていくきっかけになるに違いないという確信を持っていました。そこで、『道路づくりから始める』という計画が持ち上がったのです」

2011年、拡張工事前の平六トンネル。水漏れがあり照明の数も少なかった。
2011年、拡張工事前の平六トンネル。水漏れがあり照明の数も少なかった。

2011年、拡張工事前の平六トンネル。水漏れがあり照明の数も少なかった。

拡張工事を終えてリニューアルした平六トンネル。LED照明を導入、明るいトンネルに。

拡張工事を終えてリニューアルした平六トンネル。LED照明を導入、明るいトンネルに。

トンネルの上下左右を広げ、防水シートも敷設。現在は、多くの地域住民が利用している。

トンネルの上下左右を広げ、防水シートも敷設。現在は、多くの地域住民が利用している。

『ザ・パークハウス 追浜』の地形の特徴を記したイラスト。海抜59mまではシャトルエレベーターで昇れる構造。周辺に高い山がないので、海はもちろん富士山も一望できる立地を誇っている。
※掲載の概念図は計画段階の図面を基に書き起こしたもので、現状と異なる場合があります。また、周辺道路・建物などの形状や位置、植栽の樹種や本数なども実際と異なります。

2010年、造成工事が進められていたさなか、訪れた関係者たちを記録した集合写真。

2010年、造成工事が進められていたさなか、訪れた関係者たちを記録した集合写真。

〈ハマちゃんバス〉は、『ザ・パークハウス 追浜』のタウンセンターにも停まる。

〈ハマちゃんバス〉は、『ザ・パークハウス 追浜』のタウンセンターにも停まる。

『ザ・パークハウス 追浜』南側の提供公園も交流の場だ。

『ザ・パークハウス 追浜』南側の提供公園も交流の場だ。

居住者向け道路を敷地内に設けることはよくあるが、ここで計画された道路はそもそも目的が違う。しかも、地理条件や周辺環境などを勘案して道路の新設に適切とされた土地は、すでに民間企業が所有していた。その民間企業とは日産自動車。土地は寮・社宅としての利用敷地の一部であった。

平野氏は、地域の工業界との結びつきを持つ追浜地域運営協議会の会長・澄川貞介氏に連絡した。澄川氏は町内会の会長も兼任しており、忌憚なき意見を得られる人物であった。澄川氏が述懐する。

「高台の開発案は、それまでに何度もあったんです。ただ、そのたびに中止の憂き目に遭っていて、このときも最初は疑心暗鬼だったんです。けれど、安宅設計さんは熱意が違った。何度も『一緒に町づくりをしましょう』と提案されました。そして、この人たちなら信用できると思い、私も交渉の場に出向くことにしたんです」

追浜の担当者との面会を経て、交渉の席は銀座にある日産グループのオフィスに移った。計画の詳細を聞いた日産グループの担当者は、「町の活性化につながるならば」と前向きに検討してくれることになった。ただ、道路工事の実施には、日産の敷地内への立ち入りと周辺地域との調整が必要であり、平野氏や関は次々とあがってくる諸条件をクリアさせていかねばならなかった。協議は2007年の春から始まっていたが、正式な同意を得られたときには冬を迎えていた。

眺望を誇る高台で人と人をつなぐ。

最終的に採用された配棟計画。風が抜ける道をふたつ設け、丘陵地帯ならではの空気の流れを継承。また、敷地の約35%の緑地面積を確保。

最終的に採用された配棟計画。風が抜ける道をふたつ設け、丘陵地帯ならではの空気の流れを継承。また、敷地の約35%の緑地面積を確保。

新設したトンネル工事風景。山之脇トンネルとして市に移管。

新設したトンネル工事風景。山之脇トンネルとして市に移管。

左上の開発エリアに向けて、ダンプカーが走っていく。

左上の開発エリアに向けて、ダンプカーが走っていく。

パイロット道路の造成。重機サイズから開発規模がわかる。

パイロット道路の造成。重機サイズから開発規模がわかる。

工事用車両が通れる道路づくりには新設のトンネルも含まれ、開発地の造成が始まったのは2009年に入ってからであった。また、隣接する浦郷小学校と協議して、その敷地の一部を交換したうえで新たに道路を設けたり、利用者の少なかった平六トンネルの拡張工事を行って利便性を高めるなど、開発地周辺の道路も整備されていった。

そして建物の計画も進められていったが、セオリーに則ったはずの配棟計画には修正指示が出ていた。商品企画部に所属する一級建築士・中嶋祥子は、埋もれる長靴を一歩ずつ引き抜きながら、造成中の斜面を登った日のことをよく覚えている。

「まさに道なき道だったのですが、登り切ったら、富士山や房総半島まで見える遠景、船が航跡を描く海の眺望が待ち受けていたんです。言い換えれば、リゾート物件ならひとつでもあれば魅力とされる要素が、いくつもあったということ。当初の配棟計画に対して『眺望のよさを生かし切れていない』という意見が出たことも納得できました」

700戸を超える全住戸で眺望にこだわった背景には、こうした経緯があったのである。さらに、人と人とのつながりを重視していた中嶋の想いに応えるかのように、いくつものアイデアが導入されていった。敷地内に設けられた貫通道路や高低差を埋めるシャトルエレベーターの一般開放、開発地の南側に位置する県営追浜東団地に始発停留所を置くコミュニティバス〈ハマちゃんバス〉への事業協力など、だ。利便性を高めながら、居住者と地域社会を結びつけ、町の活性化を図ったのである。

実は、コミュニティバスを運営するNPO法人には、市議会議員の職を離れた嶋田氏が参画している。そして現在、嶋田氏はボランティアのドライバーとして地域住民と過ごす日々を送っている。

「分断されていたエリアをつなぐための策として、コミュニティバスの計画自体は前々からあったんです。そのタイミングで、ちょうど開発の話も出てきたんですよ。駅周辺に出かける最近の地域住民は、往路でエレベーター、復路でコミュニティバス、というパターンが多くなっています。この開発がエリアをつなぐ効果をもたらしたんです」

地元で「最後の大規模開発」と呼ばれた『ザ・パークハウス 追浜』の開発は、2014年11月の全棟完成をもって幕を閉じた。7年にわたったプロジェクトは追浜に新たな風を吹かせている。

フォトギャラリー

  • 東町エリアから入る際の目印となっている、ウェルカムスペースの看板付近から新設道路を眺める。
  • 西側にあるヒルトップゲート。
  • ウェルカムスペースを上がっていくと、エレベータータワーが見えてくる。
  • セントラルガーデンに植えられた木々は、遠方の造園業者まで出向いて、太さや枝ぶりを図面と比較しながら選んでいった。
  • 敷地内の施設を示す看板のひとつ。町角と呼ぶにふさわしいデザインとなっている。
  • エレベータータワーの下から望む景観。
  • エレベータータワーの下から望む景観。
  • 貫通道路には各棟や施設名を記したサインが点在している。
  • タワーブリッジからの景観。
  • タワーブリッジは町並みへと誘う空間としても機能。

居住者専用の庭園や施設も充実。

『ザ・パークハウス 追浜』では、地域住民に多くのスペースを開放することで、居住者と地域社会との関わりを密接なものにしている。加えて、居住者同士のコミュニティ形成にも重点を置き、居住者専用の庭園や設備も充実させている。

たとえば、自走式駐車場の上に設けられた屋上庭園。ウッドデッキや石を配した遊歩道の脇には、ベンチが置かれ、美しい眺望や季節ごとに表情を変える草花を楽しめるよう図られている。

屋内には、ライブラリー、スポーツジム、キッズルーム、キッチンスタジオ、カラオケルーム、体育館などの共用施設を完備。さらに、コンシェルジュサービスを採用することで、居住者にさまざまなライフスタイルをサポートしていく体制を整えている。

小さな子どもを持つ家族から年配者まで、幅広い層が豊かな自然と利便性、笑顔あふれる暮らしを享受できる集合住宅となっているのである。

  • スカイデッキから続く屋上庭園。

    スカイデッキから続く屋上庭園。

  • コモンアリーナ内に設けられた体育館。

    コモンアリーナ内に設けられた体育館。

  • スポーツジムには、各種マシンのほか、近年人気のボルダリング設備も。

    スポーツジムには、各種マシンのほか、近年人気のボルダリング設備も。

  • 上層階から見下ろした屋上庭園。季節ごとに色合いが変わる草花も楽しみのひとつだ。

    上層階から見下ろした屋上庭園。季節ごとに色合いが変わる草花も楽しみのひとつだ。

  • タウンセンターのカウンター。

    タウンセンターのカウンター。

  • 自由に読める新聞や図書が置かれているライブラリースペース。眺めのよいチェア席やくつろげるソファ席が用意されており、ゆっくりと自分の時間を過ごすことができる。

    自由に読める新聞や図書が置かれているライブラリースペース。眺めのよいチェア席やくつろげるソファ席が用意されており、ゆっくりと自分の時間を過ごすことができる。

ザ・パークハウス 追浜(販売済)

●所在地/神奈川県横須賀市追浜東町2丁目3-1 ●構造・規模/鉄筋コンクリート造・地上7階地下2階建(A~E棟) ●総戸数/709戸(第1工区/AB棟278戸、第2工区/CDE棟431戸) ●事業主/三菱地所レジデンス(株) ●施工/三井住友建設(株)横浜支店(第1工区)、(株)フジタ横浜支店(第2工区)、フジタ・大豊建設共同企業体(開発土木・エレベータータワー) ●設計・監理/(株)安宅設計 ●デザイン監修/SKM設計計画事務所 ●管理会社/三菱地所コミュニティ(株) ●竣工/2012年9月(AB棟)、2014年2月(C棟)、2014年6月(D棟)、2014年11月(E棟)

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