小岩井農場

森の中のハイカラな建物が『本部事務所』だった

『一号サイロ』は日本最古のサイロとある

国道46号を外れて小岩井農場を目指す道は、岩手山の裾野を緩やかに上がっていく。辺りは森林や草地で、やがて右手の森のなかに農場の『本部事務所』(1903年=築年、以下同じ)が見えてくる。木造下見板張り塔屋つき上下窓の建物はいかにも明治のハイカラ事務所で、玄関ポーチの飾りを子細に見ると小さなハート形が見つかって思わず微笑んだ。左対称の正面は増築で変形したのだろう。近くには倉庫(1892年)や倶楽部(1899年)などの歴史的建物もある。岩手山に向かってさらに行くと、牧草地が広がり放牧の牛がのどかに草を食む風景が展開する。1891年(明治24)に火山性土壌の不毛の原野を開拓し始めて、このような草地や森林が造られた。農林畜産業のパイオニアワークの成功をここに見るのだ。

そんななかで木造四階建ての『四階倉庫』(1916年)に出会って驚いた。飼料用穀物を乾燥させるためにエレベーターで最上階に上げ、分別しながら下に降ろすのに四階建てが必要だったという。またその先では掘り抜きの穴蔵に乳製品を貯蔵した『天然冷蔵庫』(1905年)に出会った。出入口や内部はレンガ積みだった。

そして上丸牛舎群では『二号、四号牛舎』(ともに1908年)という歴史的牛舎に出会い、また現存する日本最古のサイロとあるレンガ造りの『一号サイロ』(1907年)、『二号サイロ』(1908年)を眺めて、小岩井農場の産業遺産の多くが現役であることに感心した。(小林)

『四号牛舎』は搾乳牛用牛舎である
木造四階建ての『四階倉庫』の大きさに驚く

日本鉄道副社長の小野義眞と三菱社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝によって1891年に開設された『小岩井農場』。当時不毛だったこの地は、その後、岩崎久彌の手によって何十年にもわたり一から圃場造りや植林が行われ、現在の緑豊かな農場へと成長した。

場内の建造物9棟は明治末期から昭和初期にかけて建てられた建築で、その半分以上が今でも現役で使用されている。西洋建築にヒントを得た建造物は1996年に国の登録有形文化財に。文豪・宮沢賢治の作品中に"本部の気取った建物" という文言で登場する『本部事務所』は、玄関ポーチの円形の垂れ飾りが目を引く建物で、2階の望楼部分から農場を見渡すことができた。ほかにも現存する日本最古といわれる家畜のエサを作る『一号サイロ』や『二号サイロ』がある。かつては基部まですべてがレンガで造られていたが、現在は崩落防止のため下部をコンクリートで補強されている。また、内部がコンクリート製の板張りサイロが印象的な『四号牛舎』や、電気がなかった時代に乳製品を冷蔵するため小山を掘って造られた貯蔵庫『天然冷蔵庫』など、その意匠を凝らした造りは現在でも人々に驚きを与えている。
(協力=小岩井農場資料館、三菱史料館)

小岩井農場

●住所/岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1
●アクセス/東北・秋田新幹線「盛岡」駅前「10番」乗り場より「小岩井農場まきば園行き」または「網張温泉行き」バスで約35分、JR「小岩井」駅よりタクシーで約10~15分
ご来園の際は、入園料や休園日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。