三菱一号館

午後の陽が当たる三菱一号館を馬場先通り側から見る

ジョサイア・コンドル(1852-1920)

1952年(昭和年)頃、ぼくは日本橋の箱崎町にある某都立高校の生徒だった。それである時期、放課後に大手町から丸の内方面にたびたび出かけるようになった。それは親しくなった女子生徒と散歩するためで、今ならデートというのだろうけど、当時その言葉はなく、ともかく同級生や知人に会うことがない大手町や丸の内の方へ向かったのだ。そうして歩くうちに、赤レンガの建物が連なって、当時”一丁ロンドン”といわれていた辺りを通りかかる。ぼくらはロンドンの街並は知らないが︑明治の西洋館が並ぶ風景を旅行者の気分で眺めた。

その後何年か過ぎてその辺を通ると、驚くべきことに赤レンガの建物がなくなっていた。そういえば新聞が丸の内の一丁ロンドンの解体を報じていたので、空襲で破壊されなかったのに惜しいことだと思った。最後の一棟が解体という記事は相当大きく扱われていたと思う。
それから何十年も経ち、その建物が同じ場所に完全復元されることをメディアで知って驚き、また高校生の頃の記憶が蘇った。

丸の内の第一号館に始まる赤レンガのオフィスビル群の設計者ジョサイア・コンドルの名は、今はすっかり有名になったが、最近になって現場責任者として曾禰達蔵の名があるのを知った。それで気づいたのだが、コンドル先生と教え子の曾禰は資質という点で相当似通ったものがあると思うけれど、どうだろうか。(小林)

旧・銀行営業所の木製の柱頭装飾は何しろ目立つ
階段の「手摺り子」の一部に解体時に保存採取された部材が使われている

明治半ばの1894年、日本政府が招聘したイギリス人建築家のジョサイア・コンドルによって設計された「三菱第一号館」が完成。全館に19世紀後半に英国で流行していたクイーン・アン様式が用いられた重厚感あふれるレンガ造りのこの建物は、三菱が東京・丸の内に建設した初の洋風事務所建築で、この地のシンボルとして多くの人々に親しまれてきた。

1968年に老朽化のために解体されたこの建物は、約40年の時を経て2010年に復元され、「三菱一号館美術館」として生まれ変わった。復元に際しては、当初の設計図や写真、各種文献などをもとに細やかなリサーチが行われ、建設当時のレンガ製造方法や建設構法までをも忠実に再現。また、例えば石の中央階段部分の石材や外観の窓枠には解体の際に保存採取されていたオリジナルの部材を再利用しているのも見所のひとつ。

ほかにも以前は銀行営業室として使われていた「Café1894」では、照明器具やカウンターなどを当時の写真をもとに復元したり、床にはジ ョサイア・コンドルが気に入って使用していたというミントン社のヴィクトリアンタイルを復元して使用するなど、昔どのように利用されていたのか、訪れる人々が想像できるよう忠実に再現されている。そこからは、本館を後世へ継承していくという想い、ジョサイア・コンドルへの尊敬や愛が感じられる。
(協力=三菱地所設計、三菱一号館美術館、三菱史料館)

三菱一号館美術館

●住所/東京都千代田区丸の内2-6-2
●アクセス/JR「東京」駅(丸の内南口)より徒歩5分、東京メトロ千代田線「二重橋前」駅(1番出口)都営三田線「日比谷」駅(B7出口)より徒歩3分
ご来館の際は、入館料や休館日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。