成蹊学園

成蹊中学・高等学校の西側で扶桑通りに面して建つ岩崎小彌太理事長の鎌倉別邸の和風門

岩崎小彌太(若い頃の写真から)

五日市街道の途中に成蹊学園という学校があって入口のケヤキ並木が立派ということは、以前から知っていた。なので、そこを通るときにはその並木を確かめた。高速道路がなかった昔は、東京から西を目指す車は甲州街道か五日市街道か青梅街道を用いたのだ。そこで学園入口のケヤキ並木は確かに見事に見えたが、それは車で通りかかる一瞬の眺めだった。

10年ほど前に、ある雑誌の「並木道」シリーズの取材でこのケヤキ並木を取り上げ、初めてこの並木道を歩いて確かめた。そこで驚いたのはこのケヤキ並木は学園の正門前だけでは終わらず、正門で左に折れてさらに北へと延々続くことだった。これはお見逸れしたと思った。

そして今度、この記事の取材のために成蹊学園を訪問したわけだが、今回のサプライズはモダンなキャンパスに似合わない重厚な和風の門に出合ったことだ。中学・高等学校エリア入口の中高門を入って左手にある「啓行門」がそれだが、林のなかに厳然とあるこの門は以前当地にあった神社のものと聞いて納得した。ところがそこで職員の方に「このエリアに和風の門が別にもうひとつあります」と聞いてまた驚き、場所を教わって見つけたのがイラストに描いた「岩崎元理事長鎌倉別邸の和風門」だ。このエリアには学園の中学・高等学校の近代的な校舎やグラウンド、体育館などが並んでいるのだが、その外れに岩崎小彌太元学園理事長の鎌倉別邸にあった質素な和風の門が、西側の扶桑通りに面して静かにあった。それからふと、若者の声がこだまする学園にこのふたつの和風の門は、あるいは案外つり合うのかなと思った。(小林)

成蹊学園本館

吉祥寺駅から北西へ徒歩15分、武蔵野市指定文化財に選ばれた見事な檸並木を進むと、今年創立105年を迎える成蹊学園がある。広大な10万坪の土地は、小学校から大学院まですべての施設を擁している。1924年竣工の学園本館は、鉄筋コンクリート造りの3階建て。当時は珍しいモダン建築で、建設中大震災に見舞われるも損傷は少なく、今日もその堂々たる佇まいは学園のシンボルとなっている。

成蹊学園の歴史は1890年、3人の少年の出合いに遡る。学園創立者の中村春二と今村銀行頭取を務めた今村繁三、そして三菱第4代社長の岩崎小彌太である。3人は高等師範学校附属学校尋常中学科で青春をともにし、後にその友情は成蹊学園の創立という形で結実する。イギリス留学を終えた小彌太は中村の教育理念に賛同し、1907年、今村とともに学園の前身「成蹊園」の開塾を支援。学園創立後は、1925年から45年に逝去するまで20年にわたり理事長を務め、財政面のみならず精神面でも学園を支援し続けた。

今日では新設の建物が目立つが、緑豊かなキャンパスで学生たちの明朗な姿を見れば、個性と自由を重んじる建学当初の校風が変わらず息づいていることがわかる。
(協力=成蹊学園、三菱史料館)

成蹊学園

●住所/東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1電話/0422-37-3517(企画室広報グループ)
●アクセス/JR・京王井の頭線「吉祥寺」駅から徒歩約15分、または北口バス乗り場1・2番より関東バス約5分「成蹊学園前」下車。西武新宿線「西武柳沢」駅下車、南口より関東バス約15分「成蹊学園前」下車。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。