ザ・パークハウスストーリー

ザ・パークハウス誕生までの物語をご紹介。テーマは、「一生ものに、住む。」そこに込めた住まいづくりの想いをお届けします。

緑が紡ぐ、土地の記憶。

プロジェクトリポート「ザ・パークハウス 浜田山季(とき)の杜」緑が紡ぐ、土地の記憶。

かつて武蔵国国府だった府中と大宮八幡を結ぶ要衝路であった人見街道。その歴史ある街道にケヤキ並木が続く一角がある。
さる事業家の御屋敷跡地をマンション開発するときの条件は、ケヤキ並木とともに可能な限り屋敷の既存樹を残すことだった。
木々が継承する土地の記憶。昔も今も浜田山の"杜"は人々を癒し続ける。

text by Norihiko Morita
photos by Naoki Seo

エントランスホールから望む中庭(季の庭)。

エントランスホールから望む中庭(季の庭)。

緑が紡ぐ、土地の記憶。

その庭は、鬱蒼とした樹木に覆われていた。荒れたなかにもシダレウメやサクラなど、かつての主人が愛でていた木々が多数残されていた。木々は主人を喪えども、花を咲かし、実をつける。あの頃と同じようにーー。三菱地所レジデンスの木名瀬修は、「さて、どのようにこの木々を守りつつ庭を再生させたらいいのだろう」と考えていた。しかも、この場所にマンションを建設するのだ。更地にマンションを建てるのが一般的だとすれば、庭木を残すことは無理難題に思えたが、それを可能とするのが我々なのだ、という自負も湧き上がった。『ザ・パークハウス 浜田山季(とき)の杜』が誕生するずっと前、この庭と三菱地所レジデンスの10年にわたる長い年月は、ここから始まった。

季の庭からエントランス方面の風景。かつては鬱蒼としていた庭に陽の光が射し込み、風が抜けるようになった。

季の庭からエントランス方面の風景。かつては鬱蒼としていた庭に陽の光が射し込み、風が抜けるようになった。

既存樹の梅は、苔むした幹に長い年月を感じさせる。

既存樹の梅は、苔むした幹に長い年月を感じさせる。

人見街道から望む『ザ・パークハウス 浜田山季の杜』とケヤキ並木。

人見街道から望む『ザ・パークハウス 浜田山季の杜』とケヤキ並木。

既存樹のほか、新たな植栽も加え緑の豊かな庭に。これらの木々も成長し、さらに"杜"と呼ぶにふさわしい庭となる。

既存樹のほか、新たな植栽も加え緑の豊かな庭に。これらの木々も成長し、さらに"杜"と呼ぶにふさわしい庭となる。

既存樹を残す、かつてない試み。

京王井の頭線浜田山駅の北側を東西に走る人見街道は、府中の大国魂神社と、杉並の大宮八幡を結んだ古くからの道。この街道沿いのケヤキ並木が続く一角に、『ザ・パークハウス 浜田山季の杜』が誕生した。もともとは、さる事業家の御屋敷であり、昭和初期の頃から森を思わせるその庭が、近隣の人々からも親しまれてきた。しかし、時は流れる。平成の時代に入り主人を喪った庭は、少しずつ手入れが行き届かなくなる。ご子息たちにとっては、相続の問題も現実的な課題となった。亡き父の家屋敷と愛した庭を手放すのは忍びないが、決断が迫られていた。それが2007年。木名瀬が、この庭に初めて足を踏み入れた年だ。

ご子息たちの願いは、土地を譲り、マンション開発すると同時に、先代の庭と敷地内のケヤキ並木を残すことだった。人々から愛されたケヤキ並木と、かつてご子息たちが遊んだ木々の茂る庭。その思い出を残すことが、三菱地所レジデンスに託された使命だった。

「マンションデベロッパーの立場で言えば、採算の面からも、工事の難しさからも腰が引けてしまう話。しかし、その難題を当社だからこそ、とご相談いただきました。逆に言えば、当社しかご期待に添うことができない。思い出の樹木を守る、その想いに応えたい、というところからスタートしました」とはいえ、具体的にどうすべきか大いに悩む。庭の樹木を残しながらマンションを建設する事業が、簡単に進むとは思えなかった。そして、無理を承知で芦原太郎建築事務所の門を叩く。そこには、この事業を成功に導くもうひとりのキーマンがいた。

時代とともに発展してきた杉並の住宅地

1933(昭和8)年の京王井の頭線開業により、都心へのアクセスに恵まれた地として注目された浜田山駅周辺エリア。善福寺川と神田川に挟まれた高台という環境のよさから、住宅地として発展してきた。

1947年 提供国土地理院

1947年 提供国土地理院

1984年 提供国土地理院

1984年 提供国土地理院

2015年10月撮影

2015年10月撮影

既存樹を保護しながらの建設工事

人見街道沿いのケヤキ並木とともに、敷地内で年輪を重ねてきた数々の既存樹は、そのままの場所で、あるいは敷地内で移植することで保護。建設工事中も傷つけることのないように配慮した。

2012年 12月撮影

2012年 12月撮影

2007年 7月撮影

2007年 7月撮影

既存樹のシダレウメやサルスベリは、樹木医の診断を経て季の庭に残すことに。

2015年 11月撮影 全体計画からどうしても不都合となる木も、伐採するのではなく、移植により保護。また、剪定をすることで工事に支障のない状態に。木々を保護しつつ工事を進めるため、細心の注意が払われた。

2015年 11月撮影
全体計画からどうしても不都合となる木も、伐採するのではなく、移植により保護。また、剪定をすることで工事に支障のない状態に。木々を保護しつつ工事を進めるため、細心の注意が払われた。

2016年 5月撮影 敷地内のケヤキ並木ありきで工事が進められる。通常のマンション建設では見られない珍しい光景。

2016年 5月撮影
敷地内のケヤキ並木ありきで工事が進められる。通常のマンション建設では見られない珍しい光景。

残すべき木々を残す、という決断。

何度も全体設計を提案し、現在のプランニングとなった。

何度も全体設計を提案し、現在のプランニングとなった。

芦原太郎建築事務所の八幡護氏は、木名瀬の依頼を受け、さっそくプランを練る。最大限樹木を保存するため戸数を抑えるなど、依頼者の納得しやすいプランを何度も提案し、樹木を残す道を模索した。しかし、そうやすやすとは前に進めないのがこのプロジェクトの難しさであった。立ちはだかった問題のひとつは、木々の生育状況。樹木医の診断によると、残すに足る木々は、考えていたほど多くはなかったという。そして、もうひとつが、さまざまな検討を経て、いざ着工を迎えようという2014年には建設資材が高騰していたという現実だった。

「もともとある程度木々を切ることで光を入れたり、移植しないと健康な庭は望めないし、配棟計画もうまくいかないのではないかと考えていました。そこに資材高騰の問題。採算性を確保しながら、可能な限り樹木を残すプランを提案する必要がありました」

八幡氏は、地権者であるご子息たちの思い入れのある木々を優先する。梅や柿、シラカシ、モミジなどを、コの字型に配棟したときの中庭に、ある樹木はそのままに、計画に収まらない樹木は移植して保存した。さらに新たな庭が新たな森となるよう、植栽を加えて四季の移ろいを感じられるように計画。さいわいにも健康状態が良好だったケヤキ並木には、その美しさが引き立つような仕掛けを施す。住棟の4、5階はセットバックし、街道から見たときに高さが抑えられたように見える工夫をした。セットバックされた空間は広々としたポーチやルーフバルコニー、外廊下となり、天空の戸建のような設えに。居住者が、日々ケヤキ並木を眺められるという利点もある。あくまでも木々を主役とした住棟を設計することで、浜田山の街になじむ配棟計画を立てた。それは、住棟の"表情"にも垣間見られる。ケヤキの垂直に沿いながら、木漏れ日のようにデザインされた有孔折板や、水平方向の壁面の素材やカラーを変えることで、長大な集合住宅の圧迫感を軽減。いくつにも分棟されているような雰囲気を醸し出した。「画一的ではないイメージが、自然との共生に必須」と、木名瀬が言うように、53戸の住戸プラン(間取り)は22種類にもおよぶ。

街道沿いのケヤキ並木や中庭の木々を愛でるための最適な間取りは、自然ありきの暮らしを考慮した結果。緑とともにある住まいこそが、『ザ・パークハウス 浜田山季の杜』の求めた理想の暮らしだった。

ケヤキ並木の垂直のラインに沿うように配された有孔折板は、デザインされた穴から光が射し、木漏れ日のような効果も。

ケヤキ並木の垂直のラインに沿うように配された有孔折板は、デザインされた穴から光が射し、木漏れ日のような効果も。

分棟をイメージし、バラエティのある表情を見せるファサード。ケヤキ並木を主役とし、街に溶け込むイメージでデザインされている。

分棟をイメージし、バラエティのある表情を見せるファサード。ケヤキ並木を主役とし、街に溶け込むイメージでデザインされている。

各住戸は上質な安らぎの場となるようにデザイン。洗練された都市空間を演出した住まいを目指した。 建物内モデルルーム(Rタイプ・リビングダイニング/2017年2月撮影)

各住戸は上質な安らぎの場となるようにデザイン。洗練された都市空間を演出した住まいを目指した。
建物内モデルルーム(Rタイプ・リビングダイニング/2017年2月撮影)

多くの住戸前には専用の駐輪スペースが用意されている。

多くの住戸前には専用の駐輪スペースが用意されている。

ケヤキ並木と中庭(季の庭)の美しさを引き出すプランニング

角地となる敷地は、住戸棟に抱かれるようにして中庭を配置。シダレウメやサクラ、サルスベリ、モミジなどの既存樹が四季に彩りを与える。ムクノキ、シラカシなどの高木も移植して保護。さらに新たな植栽を加えて、緑の豊かな庭を設計した。

ケヤキ並木と中庭(季の庭)の美しさを引き出すプランニング

鬱蒼としていた状態から開放され、燦々と光を浴びるシダレウメ

鬱蒼としていた状態から開放され、燦々と光を浴びるシダレウメ

サルスベリ

サルスベリ

生まれ変わった、浜田山の杜。

人見街道側の上層階をセットバックすることで広々とした空も見える開放感のある通路に。

人見街道側の上層階をセットバックすることで広々とした空も見える開放感のある通路に。

2017年2月、『ザ・パークハウス 浜田山季の杜』は、計画から10年の時を経て竣工を迎えた。浜田山駅を降り、商店街を抜けて左、人見街道に沿って歩いて行くと、例のケヤキ並木が現れる。そのケヤキの美しさを妨げないよう、さりげなく5層のマンションが建っている。エントランスに回れば、総ガラス張り、2層吹き抜けの空間が出迎えてくれる。その先に明るく輝くのは、生まれ変わった庭だ。沿道から望むと、それは借景のように美しい。近隣の人々も、かつての庭が再生したその光景を、通りかかる途中に眺めているのかもしれない。エントランスを抜けると、さらに庭の開放感、緑の存在感を感じられる。そして、各住戸へのゆったりとした通路に気づかされる。小径のよう、とも言えるだろう。庭を中心とした暮らしには、戸建感覚のある、この空間が似合っているように感じられた。上階からは、中庭を見下ろす風景、街道沿いのケヤキに手が届きそうな距離感が印象に残る。緑がいつも身近にある、そんな雰囲気が魅力となっているようだ。そのとき、八幡、木名瀬両氏が同じように語った言葉がふと浮かんだ。

「新たな庭が、年月を重ね、さらに青々と繁ったとき、もう一度、ここを訪れてみたいですね」

故人の想い、その遺族の願いを受けて保存・再生された浜田山の木々。それは、これから長い時間をかけ、庭から森へ、森から"杜"となる癒しの場所なのかもしれない。ここに住まう人々、近隣の人々に安らぎを与える土地の記憶を、緑が紡ぎ、つないでいく。

存在感が際立つエントランス。 存在感が際立つエントランス。

存在感が際立つエントランス。

カッシーナのソファが出迎えてくれるエントランスホール。

カッシーナのソファが出迎えてくれるエントランスホール。

ザ・パークハウス 浜田山季(とき)の杜(販売済)

地上5階建、総戸数53戸。京王井の頭線浜田山駅から徒歩7分という利便性の高さ。ケヤキ並木の美しさを引き立てながら、浜田山の街並みに優美に溶け込んでいるのが特徴だ。住居棟は、中庭を囲むようにコの字型に配棟され、どこからでも緑を眺められる安らぎの住まいを実現している。

● 所在地/東京都杉並区高井戸東3丁目1958-1(地番)  ● 構造・規模/鉄筋コンクリート造・地上5階地下1階建 ● 総戸数/ 53戸(事業協力者住戸2戸含む)、ほかに管理室1戸 ●売主/三菱地所レジデンス(株)  ●デザイン監修/芦原太郎建築事務所 ● 施工会社/東亜建設工業(株) ● 竣工/2017年2月

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