Mr.グランデスク
止まることない大阪の「今」を歩む
今回は、
「大阪」駅前再開発や万博など、
話題豊富な「大阪」へやって来ました。
豊かな人生へのご提案として、「住む」ことにフォーカスしながら様々な都市をご紹介してきたGRAN
DESK(グランデスク)スタッフによる“街歩き”。今回は、様々な再開発で国際都市としてのまちづくりが進行中で、現在開催中の大阪万博でも注目を集めている大阪を訪れました。
数々の再開発の中でも注目を集めているのが、“大阪最後の一等地”と呼ばれ、大阪都心においても7駅・14路線が利用できる交通拠点「うめきた」地区。2027年の全体まちびらきに向けて開発進行中の「グラングリーン大阪」では、2024年から今年にかけて、オフィスやホテル、商業施設や公園の一部が先行公開されています。
今回の“街歩き”は、この舞台を中心に、大阪の多彩な魅力をご紹介していきます。
松永 渉 プロフィール
現三菱地所ハウスネットに1991年入社。売買・賃貸仲介や賃貸管理など不動産流通業務全般を経験。2021 年より三菱地所のレジデンスクラブ
コンシェルジュとして相続対策など多数の相談に対応。2024年よりグランデスクに従事。
趣味:YouTubeで興味を得たDIY
愛車も誰とも被らないカスタマイズにこだわっています。
大阪独自の歴史、文化を体感すると共に、
躍動する今と未来を体感する
“街歩き”へ。
大阪駅を降りた二人は、駅前にして約45,000㎡の公園と共に広がる「グラングリーン大阪」の緑の美しさに目を奪われつつ、まずは“水都”と称される大阪の街の歴史や、独自の食文化を訪ねました。
その後、“大阪最後の一等地”といわれる広大なる「うめきた」再開発エリアの「グラングリーン大阪」のあふれる緑・水の魅力や、ホテルや商業施設など最新スポットを訪れ、「今」の大阪を“街歩き”しながら、進化を続ける「未来」の大阪を感じてきました。
“水都”“商都”として
かつて東京を上回る大都市だった大阪は、
再び世界発信の街へ。
大阪といえば江戸時代に“天下の台所”と称された日本を代表する“商都”であり、1920年代には東京市を上回る人口を有した世界第6位の都市でした。同時に“水都”とも称されるように、その経済・文化の基盤ともなったのが、「八百八橋」とも呼ばれるほど多い橋に象徴される水運を基盤とする交通網。淀川河口地域を中心とする大阪中心部に、これほどの河川がなければ運輸の発展はなく、数多くの橋があったからこそ都市として栄えることができたといえます。
大阪の橋の多くは、「町橋」と呼ばれ、商人たちが自費で架けたものです。必要とされていることを「お上」に頼ることなく、自分たちの力で解決するパワーと気質こそ、大阪のまちづくりの原点といえるでしょう。
私たちはそんな数多くの橋の中から、今回は「中之島ガーデンブリッジ」、「難波橋」、「淀屋橋」へ向かいました。
難波橋(ライオン像前)
寛げる空間もあり、ライトアップ等でも演出される1990年にできた「中之島ガーデンブリッジ」が現代を象徴する橋であるのに対して、江戸時代架橋の「難波橋」は、大阪の歴史を象徴する橋のひとつ。江戸時代は周辺の16の橋や遠くの山々を眺めることができることから、花火見物や夕涼みができる行楽地でもあったそう。
橋の象徴であるライオン像は1915年に現在の位置に移され架橋された時のもの。大阪の近代を象徴する趣に満ちていました。
そして「淀屋橋」こそ、初代の橋を一商人である「淀屋」が架橋した由緒を持つ「町橋」の代表格。周辺には大阪市役所や日本銀行大阪支店のレトロな建物が残されているうえ、この橋上は、未だ一日に7万人が渡り、6万台の車が利用しているように、大阪商人の気質は大阪の発展の礎となっており、現代の生活にも多大な影響を受け続けているのです。
この変わらない、水と橋を中心とした交通網が“商都”“天下の台所”の基盤となったことは、その後につながる大阪の物語に深く関わってきます。
たとえば大阪の食文化を支える「出汁」は、舟運によって大阪の街に届く真昆布によって生まれたもの。水につけておくだけでいい出汁が出るこの昆布は、大阪の軟水との相性がよかったといわれます。商都として、モノや人が行き交う中で、大阪は独自の食文化も育てていくのです。
中之島ガーデンブリッジ
中之島ガーデンブリッジ
堂島川の大江橋と渡辺橋の間に架けられている歩行者専用橋。1990年架橋の比較的新しい橋で、幅員が広くくつろげる空間も確保された橋上空間では、カフェやイベントも展開。ライトアップされるなど、現代の「水都大阪」のシンボルとなっています。
難波橋(中之島公園側から)
難波橋
橋の四隅にライオン像が配されていることから、ライオン橋の愛称でも親しまれています。江戸時代からの歴史を今に伝える復元された照明灯やバラ園のある中之島公園へ降りる石造りの階段など独特の雰囲気は、歳月を超えて愛されています。
淀屋橋
淀屋橋
江戸時代、当時日本一の材木商だった淀屋によって架橋。橋付近には日本銀行・大阪市役所など有名な近代建築が点在。趣深いデザインや周辺との調和等から市民が「最も魅力を感じる橋」に選ばれています。
“水都”の歴史を感じる橋巡りの後は、
“天下の台所”と称された
大阪の味を堪能。
その後、二人は淀屋橋から大阪梅田方面に向かう途中にある「曽根崎お初天神通り商店街」へ。“天下の台所”と称される「食文化」を堪能するべく、“ほんまもん”の大阪の味を提供し続けるお好み焼き店「ゆかり曾根崎本店」へ伺いました。
お好み焼きをはじめ、うどん、串カツ、たこ焼きなどの「粉もんグルメ」といえば、大阪の重要な食文化。先にご紹介した「出汁」は、この地にうどん文化が開花するきっかけとなり、その後、お好み焼きやたこ焼きにも活かされるようになったといいます。
粉もんの歴史は古く、日本では古代から小麦を粒のまま煎ったり炊いたりする食べ方があったようです。中国から石臼を使って小麦を粉にする製粉技術が伝わったのは奈良時代以降と言われており、この時代に現在の麺文化のルーツも生まれています。
「小麦粉を溶いて焼く」という調理法は、千利休が始めたものと言われています。
そして江戸時代以降、水で溶いた小麦粉に様々な食材を混ぜて焼いて食べる習慣が広まり、明治時代には現代のお好み焼きのルーツになったメリケン粉やキャベツ、ソースを使った「洋食焼」が庶民の食べ物として登場。また、戦時中の米不足も大阪に粉もん文化を開花させた要因のひとつのようです。
「ゆかり曾根崎本店」は、創業昭和25年、“ほんまもん”の大阪の味を提供し続けるお好み焼き店。大阪だけでも数店舗展開し、東京秋葉原や横浜にも出店しています。
「ゆかり曾根崎本店」が所在するのは、「大阪」駅の南東・地下鉄谷町線「東梅田」駅上に連なる曽根崎お初天神通り商店街。アーケードがあるこの商店街は第二次世界大戦終戦直後から天神様の境内に飲食店が集積したことが由来。戦中・戦後に花開いた「粉もん文化」と重なる、大阪を象徴する老舗店が建ち並ぶ商店街です。
注文したのは、店名を冠した「ゆかり焼」と「ゆかり曾根崎本店」限定の「焼そば」。「ゆかり焼」は、定番の豚バラに加えて有頭エビ、イカ、貝柱などの海鮮がぎっしり、加えて絶妙な味わいを添えるコンニャクも。4回もひっくり返して焼き、中に旨味をしっかりと閉じ込めたうえ、エビの頭が外に出ている独特のスタイルは、まさに「食いだおれ」という表現を思わせる食べごたえ。同時にこの街の「粉もん文化」の豊かさや独自のものを生み出そうとする商人気質を感じることができました。
公民連携という大阪ならではの枠組みで、
「みどり」と「イノベーション」の
融合をコンセプトに進む
“大阪都心の緑”の創造、
「グラングリーン大阪」。
昔ながらの食文化を堪能した後、二人は街の今と未来を体感するため、「うめきた地区」へ。
「うめきた地区」は旧梅田貨物駅にあたる約24haという広大な敷地を活かして、大阪・関西の発展を牽引し日本の国際競争力を強化するまちづくりが進行する、新しい大阪の象徴。「うめきた地区」のうち、グラングリーン大阪は現在、2027年度の全体まちびらきに向けて、三菱地所株式会社他、開発事業者JV9社※1によって開発が進められていますが、プロジェクトの枠組みは「公民連携」。市⺠や企業など、さまざまな人々が新しい活動にチャレンジできる場や仕組みをつくるためのプロジェクトです。
世界有数の大規模ターミナル駅前に約45,000㎡もの大規模な都市公園をつくることや、公園を中心とするまちづくりを行うこと等は、公民連携の枠組みの中で決まったこと。「橋」がそうであるように、まちづくりに「民」の力が大きく寄与してきたこの街では、今再び「みどり」と「イノベーション」を公民で融合させ、世界発信できる“Osaka
MIDORI
LIFE”という創造的なライフモデル実現を目指しているのです。
井戸水を利用した冷暖房システムや、生ごみから電気をつくるバイオガス発電など数多くの環境先進技術を導入するなど、持続可能に係る様々な工夫や発想がすみずみに込められた、緑と公園を中心とした他に例のない大規模複合施設づくりが進行しています。
提供:グラングリーン大阪開発事業者
「グラングリーン大阪」が誕生した「梅田貨物駅」跡地は、1928年に大量の貨物や旅客に対応するため開業した国内有数の巨大貨物駅。この立地が貨物駅として選ばれた理由は「水運との接続性のよさ」。“水都”として発展してきた大阪を物語るにふさわしい地でもあるのです。
今回二人は、「グラングリーン大阪」に2025年3月に開業した「ホテル阪急グランレスパイア大阪」を見学させていただきました。
「うめきた地区」にありながら、一歩足を踏み入れると大阪の都心にいることを忘れてしまうような上質な居心地を演出する空間が広がっていました。因みに大阪生まれのMr.グランデスクは、42年前にこの貨物駅でアルバイトをしていたとのこと。その頃の貨物駅の周辺は薄暗く、仕事終わりの帰路は心細いものだったそう。その場所が、大阪のアイデンティティに未来を見据えた建築や景観を重ねて、これほどの上質な空間が生まれ、先進の場所となるのですから、まちづくりが都市にとってきわめて重要なミッションであることがわかります。
梅田貨物駅跡地の空白となっていた土地に0から公共施設を作るという点で、地域の方々の期待も極めて大きいこのプロジェクトは、同時に緑という環境価値の高さを世界に向けて発信するまたとないプロジェクトになるかもしれません。
ホテル室内より大阪の「今」を眺める

ホテル阪急グランレスパイア大阪 エントランス

革新的なウェルビーイング体験を提供する
健康増進施設「うめきた温泉 蓮 Wellbeing Park」
健康増進施設「うめきた温泉 蓮 Wellbeing Park」
「グラングリーン大阪」の広大な緑を借景とした「インフィニティプール」やリラックス効果の高い天然温泉をはじめとする大浴場、ホットヨガ、そしてフィットネス等で健康をトータルサポート。ウェルビーイング実現のための多種多様な取り組みを体感できる施設です。
食と文化が満喫できる
アジア初の「タイムアウトマーケット」
提供:グラングリーン大阪開発事業者
食と文化が満喫できるフードカルチャーマーケットとして「グラングリーン大阪」南館にオープン。総面積約3000㎡超の空間に、関西を代表するシェフやレストランが参加する17のキッチンと2つのバーが一堂に集結しています。
ロートハートスクエアうめきた
ゲートランタン
ウォルドーフ・アストリア大阪
「ウォルドーフ・アストリア大阪」提供写真
キャノピーbyヒルトン大阪梅田
「キャノピーbyヒルトン大阪梅田」提供写真
最大の都市公園「うめきた公園」
国内外へ発信する
「グラングリーン大阪」
河川が行き交い、中世には多くの堀が開削され水運が発達した“水都”大阪。その中においても「グラングリーン大阪」所在地は、1874年に大阪駅が開業すると、水運から陸運の玄関口として貨物駅が誕生した水と大地という自然の接点でもありました。
その地に生まれた「うめきた公園」は、大規模ターミナル駅直結の都市公園としては、世界最大級の規模※2。空や風景を鏡のように映し込む水盤と共に広がる「芝生広場」。“水都”“八百八橋”の大阪の歴史を継承するような南北をつなぐ橋「ひらめきの道」。夜間のライトアップも美しい、神秘的な螺旋状の階段「ゲートランタン」。そして、生物多様性や地域植生をふまえて植樹された320種・1500本を超える木々。
世界最大級の広さと共に、この公園を中心としたまちづくりは、大阪という街の魅力を改めて世界に発信する存在となるでしょう。
未来に向けて
まちづくりが加速する大阪
大阪において一歩先を行く未来を発信しているのは、「グラングリーン大阪」だけではありません。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに「大阪・関西万博」が開催されている夢州は言うに及ばず、「大阪駅周辺‧中之島‧御堂筋周辺地域」「難波‧湊町地域」「阿倍野地域」「大阪城公園周辺地域」「新大阪駅周辺地域」「大阪コスモスクエア駅周辺地域」と実に6つのエリアが国土交通省により都市再生緊急整備地域‧特定都市再生緊急整備地域に指定され、いずれも開発が進行中です。リニア中央新幹線計画も控えており、ますます注目が高まる大阪。商人の気質、「公民連携」を可能にする民の力など培われてきた独自の歴史や変わらない魅力のうえに、様々な「最先端」を重ねていく街の歩みに期待感が高まる今回の“街歩き”でした。
梅田スカイビル 空中庭園展望台
- 住所
-
大阪府大阪市北区大深町4-20
グランフロント大阪 南館 7F
- 定休日
- 不定休
- TEL
- 050-5385-3447
- 営業時間
- 11:00~15:00
17:00~23:00(L.O.21:30)
「ばらぞの橋」参考写真
「中之島バラ園」参考写真
- 住所
- 大阪府大阪市北区 中之島1-1
「露天神社(お初天神)」参考写真
- 住所
-
大阪府大阪市北区曽根崎
2丁目5番〜2丁目15番付近
- 小川:
-
実は今から42年前、この貨物駅でアルバイトしていたことがあります。
今回の“街歩き”は、現在進行形の新しい街と遠い過去の貨物駅とのギャップに少々混乱しながら歩いた、というのが正直な感想です。
- 松永:
- 私にとっても久しぶりの大阪でした。駅前の再開発が進んで、見違えるほどに変貌していていた、というのが実感です。でも、昔の面影もしっかり残っているように思いました。
- 小川:
- 今回の街歩きで最も印象に残ったのは、「梅田スカイビル空中庭園展望台」からの景色ですね。東には生まれ育った河内平野と生駒山地、北には淀川越しに北摂、西に六甲山地、南には泉南の海…。そして高層ビルがあちこちに建ち並んでいる。圧倒的な都市景観でした。
- 松永:
- 私はやはり「うめきた公園」が印象的でした。まさに都会のオアシスですよね。
そこに、まるで原風景のような、噴水で水遊びをする子どもたちの姿、見守る親たちの微笑ましい姿…。時代とともに働き方や暮らしが変化しても変わらないものがあるのだなと実感しました。
- 小川:
-
そうですね。現在と過去の風景のギャップに混乱するばかりだったと申し上げた“街歩き”でしたが、そんな中でも私たちの撮影風景を物珍しく見る通りすがりの人々の表情には、
“大阪らしさ”を感じることができました。
きっと、どんなに開発が進み、街が変わろうとも、大阪に住む人々の気質は変わらない。変わらない気質があるからこそ変貌する街がもっと魅力的に感じられる。この度の大阪“街歩き”は、私にとってそんな体験だったのかもしれません。
小川&松永ʼs レーダーチャート
Mr.グランデスク
小川武史が感じた大阪の魅力。
今回の“街歩き”は、私にとって生まれ故郷への帰還となりましたが、42年前、この貨物駅でアルバイトをしていた私にとって、いうまでもなくこの地の記憶は「東の汐留」と並び称された貨物駅。もちろん、かつて私の父が上町台地から焼野原の向こうに大阪湾を眺めていたという光景をイメージすらできず、ただただ遠い過去の記憶とのギャップに困惑するばかりでした。
私は大阪が生まれ故郷ですが、厳密に言うと大阪市内ではなく東大阪市。高校は大阪市内でしたのでミナミ(難波)には足を運んでいましたが、キタ(梅田)でアルバイトしたり遊ぶようになったのは大学生になってから。就職してからは横浜、首都圏住まいでしたので、実は大阪駅界隈はあまり詳しくないのです。
その間40年、開発が進んで劇的に変貌した大阪。今回の“街歩き”は地上は何とか物標を頼りに歩くことができましたが、地下街では全く方向感覚がなくなり撮影クルーについて歩いて行くばかりでした。
そんな時になつかしさと共にふと心をあたたかくしてくれたのは、撮影風景を物珍しく見る通りすがりの人々の視線。どんなに開発が進み、街が変わろうとも、おそらくこの大阪に住む人々の気質は変わらず、そしてこの街の最も大きな魅力であり続けると思いました。
撮影の最後、「グラングリーン大阪」のサウスパークで見た夕焼けの美しさと共に私の心を癒してくれたのは、この変わらない「大阪らしさ」。変わらない魅力がある街だからこそ、進化する街は今後より魅力的になっていくに違いない、そう思わせてくれた“街歩き”でした。