旧岩崎邸庭園

洋館を南側から見るとこのように

岩崎久彌 明治26年撮影の写真から

伝記によると、岩崎久彌が米国留学を終えて帰国したのは、1891年(明治24)とある。現在『旧岩崎邸庭園』となっている岩崎久彌の茅町本邸は1896年(明治29)に完成しているので、この時期なら久彌の米国東部での記憶は古びてはいないと思う。

また、この屋敷の洋館や撞球室を設計したJ・コンドルは、1877年(明治10)年に『工部大学校』の建築学教師と政府所管の建造物の設計家として来日、1884年(明治17)に教師職を解かれた後も設計事務所を持って多くの仕事をしており、1894年(明治27)の『丸の内三菱第一号館』をはじめとするオフィスビル群などを手掛け、その後、この茅町本邸を設計した。

そのときに、米国留学中の知見から邸宅へのさまざまな要望があったに違いない施主の久彌と、後に邸宅作家と呼ばれるようになるコンドルとの間でどんなやり取りがあったか。今改めて『旧岩崎邸庭園』の洋館と撞球室を見て、そのやり取りこそ興味深い。

その結果、完成した建物が、居住者が何代も代わった後、復元されているので誰でも見ることができる。まず外観内部ともに装飾が豊かで、華麗な印象を持つ。それから細部を見ていくと、まるで工芸美術館のようで見飽きない。そして最後に庭園を巡って全体を見渡し、久彌とコンドルの間のやり取りがどんなものだったかを想像してみる。(小林)

洋館を東から見て描いた

三菱財閥第三代総帥、岩崎久彌の本邸として、1896年に建てられた『旧岩崎邸庭園』。その当時は約1万5,000坪という広大な敷地に20棟もの建物が存在していた。
しかし、時代の流れにより戦後はGHQに接収され、返還後には『最高裁判所司法研修所』として使用されるなど、さまざまな時を経て、現在はその3分の1の敷地となった。現存する建物は洋館、和館、撞球室。なかでも木造2階建てで地下室つきの洋館は『鹿鳴館』を建てたイギリス人建築家、ジョサイア・コンドルが手掛けた近代日本住宅を代表する西洋木造建築として知られている。アーチを多用したり、ステンドグラスやドーマー窓など、装飾性に富んだジャコビアン様式が採用された繊細なデザインが昔のままの雰囲気を醸し出す。また、同じくコンドルの設計で別棟として建てられた撞球室は、その当時ではまだ珍しかったスイスの山小屋をイメージさせる木造建築で、そこで男性たちが重要な話し合いをしながらビリヤードを楽しんでいたそうだ。この洋館と撞球室は、1961年に国の重要文化財に指定。1969年に和館が、1999年には煉瓦塀を含めた屋敷全体が追加指定されている。現在も多くの人が足を運ぶ、日本を代表する歴史的建造物となっている。
(協力=三菱史料館)

旧岩崎邸庭園

●住所/東京都台東区池之端一丁目
●アクセス/東京メトロ千田線「湯島」駅より徒歩約3分、東京メトロ銀座線「上野広小路」駅より徒歩約10分、 都営地下鉄大江戸線「上野御徒町」駅より徒歩約10分、JR山手線・京浜東北線「御徒町」駅より徒歩約15分
ご来園の際は、入園料や休園日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。

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