グラバー園

眺望絶佳北西南三方向にベイウィンドウを開いたような『旧グラバー住宅』

注:ベイウインドウ=建物から床ごと張り出した展望のよい3面ガラス窓。

グラバー園

その人は明治初期に来日した英国人の土木建設技術者で、主に横浜の道路や橋梁(きょうりょう)、港湾施設などの建設に携わったと聞いた。

母方の祖母の姉の夫だからぼくにとって大伯父に当るこの人物のことは、昭和時代の終わり頃になって知らされたので、明らかに明治のお雇い外国人とわかる人物が親類縁者のなかにいただけでも驚いたのだが、土木技術者と知ってさらに驚き興味を持った。

けれども親類とはいえこの人物について知る者はこの時点ではひとりもおらず、わかっているのは断片的な二三のことに限られた。即ちスコットランド生まれであること、グラスゴーの工業学校を終えてすぐに来日したこと、吉田橋(横浜)の建設に関わったこと、山手の見晴らしのよい所に住み毎日馬車で役所に出勤したことなどは聞いていたけれど何れも伝聞を重ねた話なので、ぼくはこの人を謎の大伯父と呼ぶことにした。

初めてグラバー邸(旧グラバー住宅の旧称)を訪ねてトーマス・B・グラバーを知ったときにすぐ思いついたのが、この謎の大伯父のことだった。スコットランド生まれで場所は違うが山手の見晴らしのよい所に住み、来日時期は20年ほどの差があるが、これはそのまま年齢差だろう。幕末動乱の日本に商機ありと見てやってきたグラバーと、明治初期の日本に必要と思われる洋式土木技術を持ってきた大伯父ではだいぶ役どころが違うが、グラバー住宅の庭に立って長崎の景色を見渡すと、どうしても謎の大伯父を思い出してしまうのである。(小林)

『旧三菱第2ドックハウス』は船の修理中に乗組員らが宿泊した施設だ

グラバー園は、かつて外国人居留地として栄えた長崎市南山手にある。明治維新を経た英国商人の旧邸のほか、市内の歴史的建造物が移築され、大切に保管されている。

園の名前に冠されたグラバーとは、日本の近代化に貢献した商人トーマス・ブレーク・グラバーその人だ。スコットランドに生まれ、安政の開国を機に21歳で来日、グラバー商会を設立した。雄藩を相手に武器弾薬の貿易で成功し、1860年代半ばには長崎で最大手の商館に成長した。現存する日本最古の木造洋風建築である『旧グラバー住宅』はこの頃に建てられたもので、外観には伝統的な日本瓦や土壁が使われているが、内観は典型的な西洋風の造りだ。1939年に息子の倉場富三郎がこの家を三菱に売却、1957年には長崎造船所創業100周年を記念して市に寄贈され、 1961年に国の重要文化財に指定された。2015年には世界遺産にも登録されている。

明治維新後、グラバー商会は倒産。石炭の国際取引に乗り出すも難航し、後に岩崎彌太郎に炭坑を売却した。だが、その商才と人柄を買われたグラバーは三菱の国際化を後押しし、終生ビジネスマンとして活躍した。

グラバー園のある丘の上からは、西洋文明の入口となった長崎港が見渡せる。動乱の日本を生き抜いた人々の、息吹が感じられる場所だ。


(協力=グラバー園、三菱史料館)

グラバー園

●住所/長崎県長崎市南山手町8-1
●アクセス/「JR長崎」駅から 路面電車「正覚寺下(1系統)」乗車、「築町」下車。「石橋(5系統)」に乗り継ぎ、「大浦天主堂下」もしくは「石橋」下車後徒歩8分。
ご来園の際は、入園料や休園日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。