殿ヶ谷戸庭園

湧水と池と季節の山野草が織りなすドラマを鑑賞する

殿ヶ谷戸庭園

自転車で散歩に出るのが、ぼくの気晴らしのひとつになっている。
世田谷の自宅から多摩川の河川敷に出て上流へ向かい、二子を過ぎたら野川(玉川の支流)沿いの道をどこまでも行くといつの間にか調布辺りにいる、これがぼくの自転車散歩の定番コースだ。

このコースを行くと右手に絶えず高台が見えるのだが、これを「国分寺崖線」というのをあるとき知った。この高台の続きを実は自宅から多摩川に出るときも切通しで通過しており、普段もよく通るところで慣れ親しんだ地形なのだが、これがなぜ「国分寺崖線」なのかというのが長い間の謎だった。

それで国分寺の殿ヶ谷戸庭園を初めて訪ねた日に、園内の地形説明を読んであっと驚いた。この庭園のある傾斜面がなんと「国分寺崖線」とあるのだ。自宅近くの切通しからこの場所まで続く長い崖線と国分寺がここで一致したわけで、そうだったのかと思いしばらくの間説明図を眺めた。

地形説明でもうひとつ気づいたことがある。戦後すぐにベストセラーになった『武蔵野夫人』(大岡昇平)という小説の舞台が国分寺崖線のこの辺りに違いなく、地形説明にある「ハケ」(崖線で湧水のある場所)という名称が「ハケの人々」といった表現で使われていたと思うのだ。その地形が小説中の人物や物語の進行を暗示していたようにも記憶する。
『武蔵野夫人』は映画化されたので崖線のどこかでロケもされたはずだが、当時の様子を偲ぶ場所はいまはこの庭園しかないのでは。(小林)

本館の洋間は和風建築に使われる「真壁造り」(構造材の柱露出する)を採用した「和洋折衷」が見どころだ

国分寺駅南口から左手に徒歩2分。風情ある玉砂利の路を抜けた先に、殿ヶ谷戸庭園がある。1913年、三菱合資会社の営業部長で、後に、南満州鉄道副総裁を務めた江口定條は、この地に別邸を建て「随冝園(ずいぎえん)」と名づけた。殿ヶ谷戸庭園はその別荘庭園に由来する。大正期始め、国分寺村は郊外の別荘地として富裕層に人気の場所だった。国分寺崖線と呼ばれる段丘崖の斜面と、湧水を利用したこの庭園は、とりわけ恵まれた土地のひとつだった。

岩崎彦彌太がこの庭園を買い取ったのは1929年。その5年後には、和洋折衷の本館と、茶室のある紅葉亭が新たに整備され、現在の回遊式林泉庭園として完成した。土地の高低差を生かした園内で、もっとも高い北側にある紅葉亭に辿り着くと、眼下には湧水の清らかな流れが見え、左前方から竹林の揺れる音が聞こえる。当時ここに招かれた客は、紅葉亭で茶をもてなされ、遠くの富士山を眺めたという。

今日、殿ヶ谷戸庭園が公開されているのは、戦後の開発計画からこの庭園を守った近隣住民の意志による。 2011年には国指定名勝にも選ばれた。いまは富士山を望むことはできないが、都会の喧騒からしばし離れ、先人と同じ場所でたのしむ静寂は、やはり格別だ。


(協力=殿ヶ谷戸庭園、三菱史料館)

殿ヶ谷戸庭園

●住所/東京都国分寺市南町2-16
●アクセス/JR中央線・西武国分寺線・西武多摩湖線「国分寺」駅南口から徒歩2分。※駐車場はありません。
ご来園の際は、入園料や休園日など事前にご確認ください。

こばやし・やすひこ/イラストレーションを中心に小説の挿絵、本の装丁、絵と文によるレポートも手掛け、国内外にもよく出かけることから旅の名人としても知られる。著書には『ヘビーデューティーの本』(山と渓谷社)などがある。