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京の一生もん×ザ・パークハウス

        
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京扇子

宮脇賣扇庵

みやわきばいせんあん
2022.01.06
#京扇子#87の工程#200年の歴史

時代を経てなお愛される
心をうつす京の逸品

江戸時代1823年創業の老舗扇子商。
その時々の高名な絵師に絵柄を依頼するなど、
創業以来ほぼすべての品を
自社でデザイン製造してきました。
実用扇子のほか、飾り扇、舞扇、茶席扇など
種類は豊富です。
5代目宮脇新兵衞の孫で
8代目社長、南忠政さんは、
若手デザイナーとのコラボレーションなど
新たな試みにも力を注ぎます。

87にも及ぶ手作業の工程

87にも及ぶ手作業の工程

扇づくりの総合プロデューサー的な存在として200年の歴史を刻む宮脇賣扇庵。
その役割は、デザインから素材選び、製造工程の管理、職人の育成など多岐に及びます。お祝いごとの配りものなど受注生産も多く、お客様の要望を伺い、どのような扇にするかを提案するとともに、形にしてきました。
扇の製造は、江戸時代から変わらずほぼ手作業。工程は、87にも及ぶそうです。竹を切ったり、割いたり、細工を施したりと加工して骨をつくり、それに絵柄を付けた和紙を合わせます。
できあがったときに、折った和紙の山と谷にどんな絵柄がくるかも緻密に計算しておく必要があり、職人の確かな経験値が求められるものなのです。
日本画家との連携など、時代に添った発案・工夫

日本画家との連携など、
時代に添った発案・工夫

宮脇賣扇庵の名が広く知れ渡ったのは、3代目宮脇新兵衞の頃。季節感もあって華やかな「飾り扇子」をお土産として考案したところ、国内外の観光客が買い求めたのだそうです。
「京都人は新しいものが好きだと言われますが、宮脇の祖先もそうだったようです。3代目は富岡鉄斎など著名な日本画家とも交流があり、それら日本画家に扇の図柄を描いてもらい展示会なども開いていました。当時はそれほど著名でなかった竹内栖鳳や神坂雪佳も、それらの画家に名を連ねています」
「20年前までは35本だった骨の数を18本にして幅を薄くし、着物の帯にさせるよう機能的にしました。一方で、1本ずつ手で描いたり、柄に蒔絵をほどこしたりと高級扇子づくりにも挑んでいます」
技術を継承して上質の扇をお客様にお届けすることには変わりはない。それをよりカッコよく時代に添うものにできるかどうかが肝心なのだそうです。
日本文化を繋いでいく使命

日本文化を繋いでいく使命

平安時代、貴族の間では、好きな人に自分の扇を贈るという風習がありました。扇は末広と呼ばれる縁起の良い品で、今も歌舞伎役者の襲名や創業記念などお祝いの配りものなどに用いられています。
茶道では、初釜のときにお師匠さまがお弟子さんに茶道扇を配るのも習わしだそう。「御家元の方から、『心待ちにするみなさんにお配りするものだからこそ、妥協せず良いものをつくりたい』とおっしゃっていただくと、身が引き締まります。日本文化を繋いでいく使命を担っているのだと改めて感じる瞬間です」と南社長。その願いは、「侍が刀を持つのと同じように、扇子をもつことが日本人の心得になる文化を取り戻す」ことだそう。
200年の時を経てなお、日本文化のそばにある扇。切磋琢磨して技術を磨き「より使いやすく、より美しく」を追求し続けてきたからこそ生まれた品です。
日本文化の本質に触れる場が
身近に

大阪で生まれ育ったこともあり、京都はある意味敷居の高い場所でもありました。けれど、実際に住んでみると、あらゆる部分で誇れる場所だと改めて思います。伝統文化を体感できるお茶やお菓子、工芸品といった上質なものがすぐ身近にあります。
さらに言うならば、料亭など少し気後れする店も、訪ねてみるとあたたかく迎え入れてくださる。
今、私は京都市内に住んでいますが、街自体がコンパクトで、このジャンルのアイテムはここで買い求めれば確実という上質な専門店が身近にあるのも幸せなことです。京都で過ごしていただければ、日本文化の本質に触れ、さまざまな出会いを愉しんでいただけるのではないでしょうか。

代表取締役社長 南 忠政
代表取締役社長 南 忠政
宮脇賣扇庵
(みやわきばいせんあん)
所在地
/ 京都市中京区六角通富小路東入ル
大黒町80-3
交通
/ 京都地下鉄東西線京都市役所前駅より
徒歩5分
阪急京都線京都河原町駅より徒歩6分
宮脇賣扇庵
※記載の写真、内容は取材当時(2021年10月)のものです。
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