三菱地所レジデンス

京の一生もん×ザ・パークハウス

        
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金平糖専門店

緑寿庵清水

りょくじゅあんしみず
2023.11.08
#究極の金平糖#約60種類のお味
#一子相伝の技

受け継がれる技と発展し続ける味 
伝統と革新の金平糖

1847年(弘化4年)創業、
京都唯一の金平糖専門店「緑寿庵清水」。
レシピがない金平糖の製法を独自で編み出し、
その伝統と技術を守りながら、
常識を覆す味を次々誕生させてきました。
金平糖作りの歴史や苦労、
時代に寄り添う試みについて、
五代目女将の清水珠代さんにお話を伺いました。

初代が使っていたとされる釜

初代が使っていたとされる釜

五代目女将 清水珠代さん

五代目女将 清水珠代さん

170年の歴史を繋ぐ
五代のバトン

緑寿庵清水が創業したのは今から170年以上前。好奇心旺盛だったという初代店主が、自分で見つけてきたという釜を使い、金平糖作りを始めたことがきっかけです。
「先生という存在がいない中で、初代は試行錯誤しながら独自で製法を編み出しました。金平糖の核となるものに蜜がけしていくという製法は今も変わりません」と珠代さん。四代目のころには、今や緑寿庵清水の代名詞といえる味付きの金平糖が誕生。素材の味と香りをとじこめた金平糖のおいしさに、当初は「邪道」だと反対していた先代も思わず納得。今も多くのお客様が、「金平糖の概念が変わった」と驚きます。そして現在暖簾を守るのが、五代目である清水泰博さんです。
「学生時代は野球一筋で30歳まで会社員だった五代目ですが、先々代が体を壊したとき、“自分が帰らなければこの金平糖を受け継ぐ者がいなくなる”と、家業を継ぐことを決心したそうです」
伝統と革新を大切にして28年。
「五代目はアイデア豊富で、挑戦したいこともたくさんあり、次から次に新しい発想が浮かんできます。さらに海外進出という展望もあり、将来跡を継ぐと言ってくれている息子と挑戦したいと思っています。常々言っているのは『自分はリレーでいうと五番目の走者』だということ。初代からつながれたバトンを五代で終わらせるわけではないので、何をするときも、次の代に繋がるように意識しながら進めています」
四代目・五代目による金平糖作りの作業風景

四代目・五代目による金平糖作りの作業風景

空中すいかの金平糖(7月)

空中すいかの金平糖(7月)

季節感を楽しめる
限定品の金平糖

おかぼの金平糖(10月)

技術とアイデアから生まれる金平糖

多くの金平糖の核となるのは、イラ粉と呼ばれる0.5mmほどの小さな粒。これを傾斜のある約200℃の釜に入れ、少しずつ蜜をかけてコテでほぐし、乾燥させながら大きくなるまで、最低2週間かけて仕上げていきます。
「金平糖作りは天候や湿度に大きく左右されますので、職人がそれを肌で受けて、釜の傾斜や回転速度、蜜の濃度を変えながら仕上げます。作業中の職人は五感を研ぎ澄ませていますが、その中で最も大切なのが耳です」
釜が回り金平糖がザーザーと流れ落ちる音が、蜜の濃い薄い、温度の高い低いを教えてくれるのだそう。珠代さん曰く「まるで子供の声を聴くように」、金平糖が要求するところに蜜がけをしていくといい、この加減によって、色艶やイガの美しさ、口に入れたときの「ほどき」と呼ばれる食感が変わってきます。この技を習得するには「蜜かけ10年、コテ入れ10年」とも言われ、 20年以上。さらに、異なる素材を加えると結晶化しない砂糖の性質上、味付きの金平糖作りにはより高い技術が必要とされます。
「フルーツ味であれば本物の果汁、究極シリーズのチョコレート味であれば本物のチョコレートを使うので、酸や油分、塩気などを含む素材と砂糖を結晶化させるのは本当に難しいです」と珠代さん。それゆえ、新しい味を作るためには、素材選びはもちろん、200℃の釜の熱に素材の味や香りが耐えられるのか、味がどう変化するかを吟味しなければならず、1種類でも開発に約2年はかかるといいます。また、大きな釜で作ることが基本なので、少量を試作するということもできません。そのような中で、茶道の家元に従事する方から「抹茶に合うものを」と要望を受け、甘さが控えめで抹茶の味を引き立てる上品な味わいを目指して実現した「特撰玉あられの金平糖(「紫蘇あられの金平糖」「山椒あられの金平糖」「生姜あられの金平糖」など全六種)」など、独創的な金平糖を数多く誕生させています。
店内には1948年に作られた金平糖も飾られている

店内には1948年に作られた金平糖も飾られている

究極のヴォーヌ・ロマネ ヴァン・ルージュ金平糖(赤ワインの金平糖)

究極のヴォーヌ・ロマネ ヴァン・ルージュ金平糖
(赤ワインの金平糖)

職人の想いを伝える
女将としての役割

伝統と革新を掲げる中で五代目が力を注ぐのは、製法は変えずに味を発展させること。これは意外と難しく、店の年月を重ねるだけではなく、時代のニーズに合わせていきたいと珠代さんも考えています。
「同じことを続ける『伝承』に対して、続けながら発展させていくのが『伝統』。老舗のやり方に則るだけでなく、みなさんに喜んでいただけるものを作っていきたいですね」
一方で、変わらない技術を受け継ぐ職人なくして金平糖は生み出せません。「工房の様子はお客様の目に触れないため、室温が約60℃にも達する工房で、職人がどのような想いで作っているかをお客様に伝えていくことが女将の役目」と珠代さんは語ります。
「店に立つ私やスタッフは、金平糖とお客様を繋ぐ存在だと思っています。丹精込めて作られた金平糖の魅力、そこに込められた職人の想いをお客様に真摯にお伝えして、お召し上がりいただければ、また戻ってきてくださる。それが職人の励みにも繋がっています」
結婚式の引出物に緑寿庵清水の金平糖をご希望いただいたものの、手作りのためなかなか多くをご用意できず、冬の寒い中何度も店に足を運んでいただいたお客様から「お店に通った時間も幸せな思い出です」という言葉をいただいたエピソードも、きっとその信念が通じているからこそ。金平糖を生み出す職人、その想いを伝えるスタッフ、そして店に足を運ぶお客様。金平糖を愛してやまないすべての人々が珠代さんの宝物であり、女将としての原動力となっています。
京都は歴史の中に
“新しさ”が満ちた場所

私自身、京都で生まれ育ちましたが、京都の魅力は文化と自然にあふれ、そして新しさがいっぱい詰まったところ。現代の生活は気づけば新しいものにあふれている、という方も多いと思いますが、そんな方こそ、京都の歴史あるものを見られたときに、「こんな世界もあったのか」という新しい発見に繋がるのではないかと思います。古いものも、見方や見る人によっては新鮮に感じることも多いですよね。知らないことを見たり、経験したりすることはとても大切だと思いますし、私も先代の女将にいろいろなことを教わりました。私の「一生もん」は、先代の女将から受け継いだ女将としての覚悟。新しい世界に飛び込んだ当時は大変なこともたくさんありましたが、今となっては自分の生き方のすべてになっていると思います。これからも女将としての覚悟を胸に、伝統と革新の金平糖を京都から発信していきたいですね。

緑寿庵清水 五代目女将 清水 珠代
緑寿庵清水 五代目女将 清水 珠代
緑寿庵清水
(りょくじゅあんしみず)
所在地
/ 京都市左京区吉田泉殿町38番地の2
交通
/ 京阪本線出町柳駅より徒歩10分
緑寿庵清水
※記載の写真、内容は取材当時(2023年9月)のものです。
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