「“文化的な消費”の豊かな都市が発展する」――都市問題の専門家から見た「街の力」とは?

「“文化的な消費”の豊かな都市が発展する」――都市問題の専門家から見た「街の力」とは?

[住まい選びの基礎知識]

2018年04月17日

「住宅購入を検討する際にまず気になるのは住む街のことではないでしょうか。交通アクセスの良さや生活利便施設の充実、資産価値などチェック項目は多岐に渡ります。そこで今回は、不動産ビッグデータを基にした分析に定評がある経済学者の清水千弘教授(※1)の論考をもとに、資産価値と密接に関係する「街の成長力」について考えてみます。

街の成長力は何で決まる?

「彩湖・道満グリーンパーク(JR武蔵浦和駅からバス5分)より埼玉新都心方面」

彩湖・道満グリーンパーク(JR武蔵浦和駅からバス5分)より埼玉新都心方面

住宅の購入にあたり「長期的に資産価値が落ちない街かどうか」は気になるところですが、そこには「街の成長力」が関係してきます。

清水千弘教授によると「住宅価格は、長期的には経済成長と人口要因で多くの部分が説明され、とりわけ日本の住宅市場は、経済成長よりも人口要因から受ける影響が強いことがわかってきた。さらに、人口減少に伴う価格の押し下げ効果よりも、高齢化に伴う価格の押し下げ効果の方が大きい」(※2)とのこと。

日本は既に人口減少時代に入り、高齢化も急速に進んでいます。大きな流れとして住宅価格が低下に向かう可能性もあるかもしれません。しかし、すべての街や家で住宅価格の低下が起こるわけではなく、「価格が変わらない街・家もある」(※3)と清水教授は付け加えます。

最近では、住宅価格や地価は「都心が上がり、郊外は下がる」といった二元論で語られることも多いようです。しかし、それほど単純な話ではありません。では、住宅価格が下がりにくい、成長力を持った街の条件とは何でしょうか。

※1.日本大学スポーツ科学部教授。マサチューセッツ工科大学不動産研究センター研究員。本文中のカギカッコの文章は、清水教授の了承を得て、論文等から引用したものです。
※2.出典:「不動産経済 FAX-LINE No.1114 2017.3.22 FOCUS 「老いる人、老いる都市、老いる建築物」
※3.全宅連『Realpartner 2017.6』連載 vol.2「これからの不動産市場―方向性とヒント 失われる街(Shrinking city*)と生き残る街」

アメニティが充実した街は、長期的に衰退せず、住宅価格も下がりにくい?

「神奈川県立金沢文庫と白梅」

神奈川県立金沢文庫と白梅

これまで「街の成長力」を測るモノサシといえば、店舗や事業所の集積度、小売・卸売販売額、工業出荷額など、ハードの充実度や経済的な付加価値が主流でした。大型施設の開発や企業の誘致などによって人口増加を促すことが、街の成長を牽引してきたからです。しかし、低成長経済下の成熟社会を迎えると、ハードや経済的価値だけでは、充分に人々を惹きつけにくくなってきました。

最近の社会学的な都市論のアプローチでは、「街の成長は、クリエイティビティとアメニティがカギを握る」という見方が注目されています。こうした理論の先駆者であるアメリカの都市社会学者、リチャード・フロリダは『クリエイティブ都市論』の中で、次のような論理を展開しています。

居住地に備わっている視覚的・文化的刺激(=アメニティ)が、クリエイティブな活動の源になり、それに伴う高揚感が生産性を高めるエネルギーをもたらす。さらに、他の地域からエネルギッシュな人々を惹きつける。そのため、アーティストや知識産業の職業人などのクリエイティブ・クラスが集まる居住地は、住宅価格が高い(要約)

「国分寺市西恋ヶ窪“姿見の池”のカルガモ。オシドリやアオサギを見かけることも」

国分寺市西恋ヶ窪“姿見の池”のカルガモ。オシドリやアオサギを見かけることも

前述の清水教授は、日本における実証研究を踏まえて、こうした理論を発展させています。
「創造的な人々は居住地を選ぶ際において、高い賃金や安い家賃などの経済的側面よりも、文化的側面――特に都市アメニティへのアクセスに代表される生活の質――を重視する傾向が強いと指摘されている」(※4)

「埼玉県立近代美術館のある北浦和公園内の彫刻広場には立体作品が点在」

埼玉県立近代美術館のある北浦和公園内の彫刻広場には立体作品が点在

「魅力のあるモノや自然環境など、消費機会が多い地域ほど、人が集積し、持続的な成長をもたらすことがわかってきました。人々を魅了する優れた自然資源や歴史的な遺産が保全され、おしゃれなカフェ、気の利いたレストラン、その場でしか買うことができない名産などの消費機会をたくさん創造することを目標として地域づくりをしているところは、これから生き残っていく」(※5)

「アメニティの具体例としては、活気に満ちた音楽やアートのコミュニティ、映画館,レストラン、壮麗な建物や質の高い教育施設、図書館、美術館などが挙げられる。人々がこうしたアメニティがもたらす文化的消費の機会を重視するようになった」(※4)

※4.LIFUL HOME’S総研『Sensuous City[官能都市]』所収「都市の魅力:スーパースターとローカルスター」
※5.全宅連『Realpartner 2017.6』連載 vol.2「これからの不動産市場―方向性とヒント失われる街(Shrinking city*)と生き残る街」

こうした論考から「歴史的な遺産」「自然資源」「文化に出会える場」という3つのキーワードが浮かび上がってきます。それぞれ次のように解釈できるかもしれません。

○歴史的な遺産…江戸時代より前に遡る歴史的な遺産があり、今も都市機能が保たれている街は、数百年にも渡って「安心して暮らせる場」として人々を惹きつけてきた証。また、歴史ある街に暮らす誇りや愛着感にもつながる。
○自然資源…短期の人工的な開発では生み出せない、潤いある暮らしに欠かせない要素。
○文化に出会える場…文学や芸術、食、伝統といった知的な刺激を生み出す文化的なシーンに出会える仕掛けの存在。

これら3つの要素を備えた街のイメージをつかんでもらうために、具体的な例を東京、神奈川、埼玉からピックアップして紹介しましょう。
(*エリアのセレクトは本記事制作サイドによるもので、将来に渡って、これらのエリアの住宅価格が下がらないことを保証するものではありません。)

“四神相応”の選ばれし土地、奈良時代に遡る国分寺の歴史

東京多摩地区の国分寺市は、都内でもっとも古い歴史を持つエリアのひとつです。主な鉄道駅には、JR中央線「国分寺駅」と「西国分寺駅」があります。

【歴史】

「左/薬師堂の扁額。中央/現在の武蔵国分寺本堂。江戸時代に再建、1987年に改築された。右/本堂前の仁王門」

左/薬師堂の扁額。中央/現在の武蔵国分寺本堂。江戸時代に再建、1987年に改築された。右/本堂前の仁王門

今から1250年以上前の奈良時代に「武蔵国分寺」が設けられました。この場所は、“四神相応”(青龍=東に川、朱雀=南に低地、白虎=西に道路、玄武=北に丘陵)と呼ばれる風水に照らしたベストな立地であり、「水害の憂いなく長久安穏の場」として、武蔵の国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)の中から選び抜かれた地形です。当時60ヶ所あった全国の国分寺の中でも有数の規模を誇り、武蔵国府(現・府中)と並んで隆盛を極めました(「武蔵国分寺跡資料館発行の冊子より」)。

今も、基本的にはこの地形の条件が保たれています。最近のマンションの多くは、四神相応の玄武(北の丘陵)に当る武蔵野台地にあり、歴史的にも恵まれた立地であるといえるでしょう。

【自然】

「北口で駅前再開発が進む国分寺駅からわずか徒歩2分の「殿ヶ谷戸庭園」。左/駅ビルやタワーマンションと緑豊かな庭園のコントラストが印象的。右下に見えるのが三菱合資会社取締役・岩崎彦彌太の別邸。右/国分寺崖線の起伏に富んだ段丘を活かした築庭。次郎弁天池から紅葉亭を望む」

北口で駅前再開発が進む国分寺駅からわずか徒歩2分の「殿ヶ谷戸庭園」。左/駅ビルやタワーマンションと緑豊かな庭園のコントラストが印象的。右下に見えるのが三菱合資会社取締役・岩崎彦彌太の別邸。右/国分寺崖線の起伏に富んだ段丘を活かした築庭。次郎弁天池から紅葉亭を望む

武蔵国分寺の境内には、万葉集に歌われた植物160種を集めて造った「万葉植物園」があり、市の天然記念物に指定されています。巨木・滝・雑木林・野鳥の森などが広がる「武蔵国分寺公園」、回遊式庭園のある「殿ヶ谷戸庭園」(国分寺駅・徒歩2分)など、駅の近くで自然資源に親しめることも嬉しいところでしょう。

「左/武蔵国分寺から連なる“お鷹の道”沿いには“こくべじ”の直売所が点在。右/清冽な水をたたえる真姿の池湧水群」

左/武蔵国分寺から連なる“お鷹の道”沿いには“こくべじ”の直売所が点在。右/清冽な水をたたえる真姿の池湧水群

また国分寺エリアは「水口八十八ヶ所」と呼ばれたほど湧き水が豊富です。代表的な「真姿の池湧水群」は、都内では2ヶ所しかない環境省の「名水百選」に選ばれています。そんな湧水を活かし、新田開発が進んだ江戸時代中期から国分寺野菜が作られてきました。今では「国分寺三百年野菜“こくべじ”」というブランドが定着しつつあります。

【文化】

「都立多摩図書館。左/靴を脱いでくつろげる“えほんのこべや”。就学前の幼児を連れて読み聞かせに訪れる親子も多い。右/刊行中の雑誌が約6000タイトルもズラリと並ぶ「東京マガジンバンク」。最新1年分がいつでも見られる

都立多摩図書館。左/靴を脱いでくつろげる“えほんのこべや”。就学前の幼児を連れて読み聞かせに訪れる親子も多い。右/刊行中の雑誌が約6000タイトルもズラリと並ぶ「東京マガジンバンク」。最新1年分がいつでも見られる

都立多摩図書館が立川から西国分寺に移転し、2017年1月に新規オープンしました。雑誌の所蔵数は1万7000誌。明治初期から現代までの幅広いジャンルの雑誌、約6600タイトルを揃えた「創刊号コレクション」やユニークな展示スペースもあり、雑誌カルチャーの発信基地になっています。

子供の読書活動を推進する「児童・青少年資料サービス」が、同館のもう1つの目玉。約1万4000冊の絵本や児童書を備え、常駐スタッフが待機する「こどものへや」があり、児童向けのイベントも珍しくありません。パパ・ママ同士の交流の場として、子育てファミリーもくつろげるユニークな文化施設といえるでしょう。

また、市内50カ所以上の和洋中のレストランやカフェで“こくべじ”(国分寺野菜)を使ったオリジナルメニューを味わえます。これも、地域で培われて来たものを楽しむ文化的アメニティの一つといえるかもしれません。

中世鎌倉の外港として栄えた海と歴史資源の街、金沢文庫

神奈川県横浜市の南に位置する金沢区の中心は、京浜急行本線の「金沢文庫駅」から「金沢八景駅」にかけてのエリア。海のそばを走る金沢シーサイドラインも利用できます。

【歴史】

「1258年頃に創建された称名寺。仁王門をくぐり、苑池にかかる反橋(太鼓橋)と平橋を渡って鐘楼や金堂に至る庭園配置は、浄土曼荼羅の構図に基づいて造られている。“市民の森”が境内を取り囲み、金沢山頂上にある八角堂からは、東京湾越しに房総半島まで見渡せる」

1258年頃に創建された称名寺。仁王門をくぐり、苑池にかかる反橋(太鼓橋)と平橋を渡って鐘楼や金堂に至る庭園配置は、浄土曼荼羅の構図に基づいて造られている。“市民の森”が境内を取り囲み、金沢山頂上にある八角堂からは、東京湾越しに房総半島まで見渡せる

金沢エリアは、古代の荘園・六浦荘から始まり、江戸時代には南関東有数の景勝地として知られていました。700年以上前に創建された「称名寺」(時宗)や日本最古の武家文庫である「金沢文庫」(※6)がある丘の上から海へ向かう道をたどると、中世・鎌倉時代以来の古刹、神社、明治憲法草創の碑など、さまざまな歴史的な遺産に出遭うことができます。悠久の時間を感じられる“歴史の道”が、日常と同居しているエリアといえるでしょう。

※6.出典:「かねさわ物語」関靖 著(横浜土地新報社 昭13年)

【自然】

「野島公園展望台から、森と海が混在する金沢区の眺望。左側の住宅地が金沢文庫駅東口の市街地。中央奥の濃い緑が“称名寺市民の森”。右側の海岸は“海の公園”。真冬でもウインドサーフィンやビーチバレー、凧揚げを楽しむ若者が集まる(撮影は2月上旬)。右手前は、海苔の養殖をしている金沢漁港)

野島公園展望台から、森と海が混在する金沢区の眺望。左側の住宅地が金沢文庫駅東口の市街地。中央奥の濃い緑が“称名寺市民の森”。右側の海岸は“海の公園”。真冬でもウインドサーフィンやビーチバレー、凧揚げを楽しむ若者が集まる(撮影は2月上旬)。右手前は、海苔の養殖をしている金沢漁港)

横浜市内唯一の海水浴場があり、潮干狩りも楽しめる「海の公園」やテーマパークの「横浜・八景島シーパラダイス」、市内最大級の緑地に囲まれ、動物園もある「金沢自然公園」など、横浜では珍しく海と丘陵の両方の自然を満喫できるのが金沢エリアです。

【文化】

「左/神奈川県立金沢文庫。中央の石板には「金沢文庫古址碑」の文字が刻まれている。右/1898(明治31)年に創建された旧伊藤博文金沢別邸。牡丹園や松林に囲まれた茅葺寄棟屋根の海浜別荘建築で、大正・昭和両天皇を始め多数の政府高官が訪れた」

左/神奈川県立金沢文庫。中央の石板には「金沢文庫古址碑」の文字が刻まれている。右/1898(明治31)年に創建された旧伊藤博文金沢別邸。牡丹園や松林に囲まれた茅葺寄棟屋根の海浜別荘建築で、大正・昭和両天皇を始め多数の政府高官が訪れた

毎年春に、称名寺の庭園がライトアップされ、特設舞台で能や狂言が上演されます。金沢文庫は、現在、神奈川県立の図書館兼中世歴史博物館として運営され、多彩な展示会や講演会が開かれています。また北条氏の滅亡以降、一時、衰退していた金沢文庫の再建にも力を尽くした初代内閣総理大臣の伊藤博文は、現・野島公園内に別荘を建てました。竣工後100年以上たって老朽化していましたが、2009年10月、創建当時の姿に復元されました。建物や調度品が公開されると共に、お茶会やコンサートなど、1年を通じて四季折々のイベントが開かれています。

また、金沢区内には老舗の料亭や旅館も残っています。たとえば、昭和初期に遊園地と割烹旅館として開園した「金沢園」は、築100年以上の国登録有形文化財の建物をリニューアルして「旅館 喜多屋」として2016年に再開しました。地元産の海の幸・山の幸を採り入れたレストラン、セミナーハウスとしても営業しています。伝統を今に活かすリノベーションを通して、エリアの魅力を引き出しているといえるでしょう。

宿場町から文教都市に進化した浦和

埼玉県さいたま市の南部、旧浦和市のエリアは、県庁を始めとする行政の中核施設が集まる都心部です。鉄道駅としては、JR京浜東北線・埼京線・武蔵野線の3沿線に、「浦和駅」を始め、「~浦和」という駅名の前に「東・西・南・北・中・武蔵」が付く6つの駅があるという全国でも珍しいエリアです。

【歴史】

「調神社は、「ツキ」という読み方から月待信仰と結びつき、神の使いとしての月ウサギが到るところに見つかります。祭りのない普段の日曜日でも、参拝客が次々に訪れています」

調神社は、「ツキ」という読み方から月待信仰と結びつき、神の使いとしての月ウサギが到るところに見つかります。祭りのない普段の日曜日でも、参拝客が次々に訪れています

浦和エリアでもっとも古いとされる社寺は、奈良時代に誕生したという伝承がある延喜式内社の「調(つき)神社」と、平安時代初期に空海が創建したと伝えられる「玉蔵院」です。どちらも浦和駅にも近い場所にあり、中世以前から門前町として賑わっていたそうです。江戸時代には、中山道3番目の宿場「浦和宿」として繁栄しました。宿場の本陣、徳川将軍の鷹狩の休憩所だった浦和御殿など、数々の歴史的な史跡も見つかります。

旧中山道は、今でも商業施設が集積する浦和のメインストリートです。沿道の調神社やその周辺では、毎年12月12日に明治時代から続く「十二日まち」と呼ばれる大歳の市が開かれ、約1,000店もの露店が並ぶなど、歴史遺産が現在のイベントの拠点になっています。

【自然】

中浦和駅から徒歩5分、“別所沼公園”では釣りもできる。右/武蔵浦和駅からバスでアクセスできる“彩湖・道満グリーンパーク”。冬でもテントを張ってバーベキューを楽しむ人が絶えない」

中浦和駅から徒歩5分、“別所沼公園”では釣りもできる。右/武蔵浦和駅からバスでアクセスできる“彩湖・道満グリーンパーク”。冬でもテントを張ってバーベキューを楽しむ人が絶えない」

浦和エリアの西部には、メタセコイアの巨木と2連の噴水池で知られる「別所沼公園」、大型スポーツ施設やバーベキュー広場、ビオトープなどを擁する「彩湖・道満グリーンパーク」、「サクラソウ自生地」としては唯一の国指定・特別天然記念物のある「桜草公園」など、身近に親しめる自然資源には事欠きません。

【文化】

「左/建築家の黒川紀章が設計した埼玉県立近代美術館(北浦和公園内)。モネ・ルノワール・シャガール・ピカソ・草間彌生、岸田劉生など国内外の巨匠の作品を所蔵。右/美術館前には“音楽噴水”の池がある。1日5~6回、クラシック音楽に合わせて噴水のパフォーマンスを実演。水柱が左右に揺れるのに合わせて子どもたちが踊り出すのが微笑ましい」

左/建築家の黒川紀章が設計した埼玉県立近代美術館(北浦和公園内)。モネ・ルノワール・シャガール・ピカソ・草間彌生、岸田劉生など国内外の巨匠の作品を所蔵。右/美術館前には“音楽噴水”の池がある。1日5~6回、クラシック音楽に合わせて噴水のパフォーマンスを実演。水柱が左右に揺れるのに合わせて子どもたちが踊り出すのが微笑ましい

旧浦和市にはかつて多くの画家や彫刻家が住み、別所沼周辺には“浦和アトリエ村”が誕生。「鎌倉文士と浦和画家」と並び称される時代もありました。現在も、埼玉県立近代美術館、さいたま市立うらわ美術館、旧師範学校の校舎「鳳凰閣」の一部を復元した浦和博物館を始め、私設ギャラリーや画材屋など、アート関係のスポットが充実しています。

県立浦和高校が公立としては東大入学率が全国1位になった実績もあり、公立の進学校が集まる文教都市として知られているのも浦和地区の特徴でしょう。絵画教室と学習塾が融合したユニークなアートスクールもあります。

「江戸時代後期の文政10年(1827年)に、浦和から毎年江戸の紀州藩邸に蒲焼を献上していたことが記録された古文書が残っている。同じ頃(1844~48年)の書かれた『浦和宿絵図』に、『山崎屋平五郎蒲焼商』と記されているのが、旧中山道沿いで営業している「山崎屋」。浦和地区で江戸時代から続く唯一の鰻屋として知られ、「大変なうなぎ好きで知られた昭和天皇をはじめ、天皇陛下、皇太子殿下と三代にわたり、当店のうなぎを召し上がって頂いております」と同店発行の冊子に記載されている)

江戸時代後期の文政10年(1827年)に、浦和から毎年江戸の紀州藩邸に蒲焼を献上していたことが記録された古文書が残っている。同じ頃(1844~48年)の書かれた『浦和宿絵図』に、『山崎屋平五郎蒲焼商』と記されているのが、旧中山道沿いで営業している「山崎屋」。浦和地区で江戸時代から続く唯一の鰻屋として知られ、「大変なうなぎ好きで知られた昭和天皇をはじめ、天皇陛下、皇太子殿下と三代にわたり、当店のうなぎを召し上がって頂いております」と同店発行の冊子に記載されている)

また、浦和近郊は水郷地帯で川魚が豊富に取れることから、鰻の蒲焼発祥の地ともいわれます。そのため、浦和地区には創業100年を超える鰻屋の老舗がいくつも営業し、「浦和のうなぎを育てる会」などの活動を通して、伝統の味と食文化の継承に取り組んでいます。

以上、3つのエリアを取り上げてみました。地域への愛着と誇りをもたらす歴史、潤いと健やかさを与えてくれる自然、そして、多様なイベントやグルメなどの文化に出会える場所、こうした多様なアメニティを備えている街の魅力と成長の可能性を感じていただけたでしょうか。日常的な暮らしやすさに加えて、清水教授の指摘する“文化的消費の機会”があるかどうかという視点で、街選びをしてみてはいかがでしょうか。

※ 掲載の情報は2018年4月時点の情報です。

写真:村山雄一
テキスト:木村元紀

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