POSITION
「武蔵小杉」駅徒歩3分(サウス)
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駅北側の穏やかな街並み
東側遠景外観完成予想CG
利便性と落ち着きを享受できる
「武蔵小杉」駅北側エリア。
駅北口から駅前を抜けた先に広がるのは、穏やかな住宅エリアの街並み。
広く美しい歩道が整備され、親しみある商店街も地域の暮らしに根づいています。
江戸時代の初めに設けられた「二ヶ領用水」も流れており、
春は桜が楽しめる住民の憩いの場に。穏やかな自然環境も保たれています。
駅徒歩3分(サウス)※、
歩道も整備された
フラットアプローチ。
※徒歩4分(ノース)
駅北口の通りを渡った先、都市の利便を近くにして瑞々しい並木が続くアプローチへ。
広く平坦な歩道が整備され、本プロジェクトへと安心かつ快適に導きます。
周辺には落ち着いた街並みが広がり、駅周辺とは一線を画した穏やかな表情へと切り替わります。
武蔵小杉の発展の歴史
“駅北側エリア”は、「中原街道」沿いを中心に
発展した武蔵小杉の原点ともいえる地。
江戸と相模国中原(現在の平塚市中原)を結ぶ重要な路線、中原街道が設置
江戸時代以降、江戸と駿府を結ぶ中原街道には徳川家が鷹狩りの際に休息できる場所として「小杉御殿」を造営するなど、武蔵小杉は中原街道沿いを中心に発展を続けてきました。
徳川二代将軍秀忠が中原街道に小杉御殿を建造
「二ヶ領用水」の完成
中原街道の宿場として小杉宿が整備
江戸時代の天明4(1784)年に肥料を売る店を開店後、手広く肥料商として「石橋本家」という屋号で呼ばれた原家。写真は約400年続く原家の明治後半期に建造された陣屋門(表門)。
鉄道開通に伴い、“駅北側エリア”から徐々に
住宅地が整備。
東京横浜電鉄(現在の東急東横線)丸子多摩川~神奈川
(現在の多摩川駅~横浜付近)間が開通。新丸子・元住吉駅が設置
南武鉄道(JR南武線)川崎~登戸間、矢向〜川崎河岸駅間が開通
武蔵小杉駅(中原区役所付近)、グラウンド前駅(現在の武蔵小杉駅)が設置
日本医科大学付属病院と共に街が成長
1932年頃の
「武蔵小杉」駅周辺航空写真
南武線開通後、徐々に街が形成されはじめる。
旧「グラウンド前」駅(現:武蔵小杉駅付近)
日本医科大学予科が設立
日本医科大学丸子病院開業
東横線に武蔵小杉駅設置。南武線との連絡通路が整備
1948年頃の
「武蔵小杉」駅周辺航空写真
東横線「武蔵小杉」駅開業後、
駅北側エリアの住宅開発が急速に進捗。
武蔵小杉駅北口にバスターミナル設置
「等々力公園」開園
1963年頃の
「武蔵小杉」駅周辺航空写真
駅北側周辺には、様々な会社の社宅などが建ち並ぶ
住宅街が広がり、街の基盤が出来あがっていった。
川崎市の政令指定都市移行に伴い、中原区が発足
新丸子橋開通。東横線に目黒線が乗り入れ、武蔵小杉〜目黒間が開通。
JR横須賀線「武蔵小杉」駅開業に伴い、
周辺に続々と大型商業施設が誕生。
JR横須賀線「武蔵小杉」駅が開業
武蔵小杉東急スクエア 開業
大型商業施設グランツリ―武蔵小杉 開業
2019年頃の
「武蔵小杉」駅周辺航空写真
駅南口には複数の大型商業施設と住宅が建ち並び、
多くの人で賑わう街へと変貌を遂げた。
大規模複合施設Kosugi 3rd Avenue 開業
武蔵小杉の街はさらなる進化へ。
“駅北側エリア”で様々な開発が
続々と進行中。
日本医科大学グラウンド跡地に日本医科大学武蔵小杉病院 開業
ザ・パークハウス 武蔵小杉タワーズ竣工
出典:新小杉開発株式会社ホームページ 武蔵小杉の歴史「中原街道と武蔵小杉」より
出典:日本医科大学武蔵小杉病院七十年史より