1969年(昭和44年)5月、第1号物件「赤坂パークハウス」分譲開始

1969年(昭和44年)5月、第1号物件「赤坂パークハウス」分譲開始

ザ・パークハウスブランドの第1歩がここに。

住まいの品質を第一に考えて

住まいの品質を第一に考えて

「赤坂パークハウス」のパース。

日本におけるマンションの歴史は、1963年(昭和38年)から64年(昭和39年)にかけての第1次マンションブームから始まった。都心の一等地に、戸建て住宅とは異なる新しい居住形態として、高額所得者をターゲットにした高級マンションが登場した。

1966年(昭和41年)には、マンション事業者の業界団体である「日本高層住宅協会」が設立。さらに新工法による建築費のコストダウンにより、1968年(昭和43年)頃から第2次マンションブームを迎えた。

当社マンション事業の第1号「赤坂パークハウス」は、そのような時代背景のなか、1969年(昭和44年)に着工、翌70年(昭和45年)4月に竣工した。

「赤坂パークハウス」は、鉄骨鉄筋コンクリート造12階建て、67戸。外装の仕上げには当時、マンションではあまり使われていなかったタイル貼りを採用。冷暖房の設置も各住戸で対応できるようになっていたほか、キッチン、バス、トイレなどの設備面でも随所に高級感を漂わせ、当時のニューヨークに見られた集合住宅をイメージさせた。また、全住戸で購入者の希望に対応し、設計変更を行った。なかには横並びの3戸を購入し、ひとつにつなげて3世代住宅に変更した方もおられた。

個別の設計変更への対応は、「特別なこと」と考えていたわけではない。オフィスビルでは、テナントの要望に応じて内装を変更するのは当たり前のこと。その考え方がベースにあったため、購入者の希望に応じて、より住みやすい環境を提供することは当然のことと考えていた。そして、この姿勢は、今も当社のものづくりのこだわりであり、住まいの品質を創造する「5つのアイズ」に貫かれている。

40年たった今も赤坂の地に

40年たった今も赤坂の地に

薬研坂からみた「赤坂パークハウス」。平成13年9月撮影。今も竣工当時の姿をたたえている。

「赤坂パークハウス」の販売は1969年(昭和44年)5月からスタート。2,000万円前後を中心に最高価格4,060万円の高級物件にもかかわらず、売り出しの当日と翌日で178件の照会があり、27戸が予約済みとなった。また、当社として第1号の物件だったことから、販売パンフレットには同年5月に取締役会長に就任したばかりの渡辺武次郎が以下の文章を寄せている。

「当社は明治中期の創業以来ビルヂングの経営を主要業務とし、専ら丸ノ内ビジネスセンターの整備、拡充を図り、都市再開発を推進するとともに、併せてビルヂング、マンション、学校等の設計監理を行ってまいりました。
お蔭をもちまして丸ノ内ビジネスセンターは充実致しましたが、ここに働く方々の住宅事情は依然として好転の様子がなく、住宅は郊外へ郊外へと拡がり、通勤に困難な状況であるやに見受けられます。
この様な事情を考え、私は都市再開発の一環として都心に中高層住宅を建設することに致しましたが、さらに宅地の造成、別荘地の開発等を本格的に手がけ、数年前より土地の大量入手に努めてまいりました。
この度、この赤坂に『赤坂パークハウス』を建設致しましたのもその一環でありまして、今後は都心を始め千葉、神奈川、埼玉等各方面に続々、高級なもの一般的なものと多様な住宅、レクリエーション、レジャー、別荘施設等を建設、さらに進んでは外国にあるような森でかこまれた美しいニュータウンを造りたいと着々と準備を進めております」

「赤坂パークハウス」という名称は、赤坂ハウス、赤坂ハイツ、赤坂ハイム、赤坂レジデント等の候補のなかから選定されたもの。今も、当社マンションのブランド名として受け継がれていることは言うまでもない。

そして竣工から40数年が経った今も、「赤坂パークハウス」は、赤坂の地にその姿をたたえ、今もヴィンテージマンションとして注目されている。丸の内のオフィスに匹敵する頑丈さを備え、適切にメンテナンスが行われてきたためだ。当社の住まいづくりの原点、それが「赤坂パークハウス」だ。

ザ・パークハウスを紐解く、6つのストーリー

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