1993年(平成5年)8月、「パークハウス多摩川」全体竣工

1993年(平成5年)8月、「パークハウス多摩川」全体竣工

一世紀を超える丸の内開発のDNAがつくり上げた未来を見据えた理想のマンション。

パート1
東京の住まいの「新しいプロトタイプ」をめざして

都市住宅に求められる課題を見つめ直す

「鵜の木駅」から多摩川に向かって歩くと、木々に囲まれた、緑豊かなマンション群が現れる。

「鵜の木駅」から多摩川に向かって歩くと、木々に囲まれた、緑豊かなマンション群が現れる。

「パークハウス多摩川」全景。北街区(写真右)は4棟全213戸、南街区(写真左)は5棟全362戸、合計575戸(竣工記念パンフレットより)。

「パークハウス多摩川」全景。北街区(写真右)は4棟全213戸、南街区(写真左)は5棟全362戸、合計575戸(竣工記念パンフレットより)。

東急多摩川線「鵜の木」駅を下り、どこか懐かしい感じがするお店の並ぶ商店街を抜け、静かな住宅街を多摩川の方に歩く。5、6分歩くと、23階建の高層マンションを筆頭に、10階建てから14階建てのマンション群が現れる。1988年(昭和63年)9月に第1期工事が始まり、以降第5期までの工事を経て、1993年(平成5年)11月に完成した「パークハウス多摩川」だ。

4棟のマンションと1軒の管理棟からなる北街区、公道をはさんで、5棟のマンションと1軒の管理棟を擁する南街区を合わせた、約3万4000㎡という広大な敷地。総戸数575戸のビッグプロジェクトだ。

この地は、かつて三菱自動車工業の下丸子工場があったところ。1985年(昭和60年)、その一部が新川崎に移転したことを期に跡地を取得。計画が始まった。

「パークハウス多摩川」は、マンションだけでなく、業務用施設も含めて計画された「パークタウン多摩川」の中核事業。マンションの開発・建築はもちろん、明治以来、広く「街づくり」に取り組んできた当社が、20世紀の総決算であり、また、21世紀を目前に控えたタイミングにおいて「世代を超えて住み継がれる住宅」「生活を愉しむ住まい」「人と自然の共生」など、現代にも共通する課題を丹念に紡ぐことで「今、東京で考えられる最善のマンションをつくろう」としたのだ。

その計画においては、たとえば、

・2住戸に1台のエレベーターを標準とする
・平均住戸面積は100㎡以上とする
・TVモニター付インターホンやオートロックが組み込まれたホームインテリジェントパネルを設置する

など、現在の最新マンションに劣らない、むしろ住環境としては“今”を凌駕するクオリティを実現している。

多摩川沿いという都内では貴重な自然環境の中に建てられた、都心の高級マンションに匹敵するクオリティを誇る「パークハウス多摩川」。今でこそ、さほど違和感なくその存在感を受け止めることができるが、開発当時は大きな驚きと注目を集めたこのプロジェクトは、どのような経緯で実現したのだろうか。

「100年経っても恥ずかしくないもの」をつくりたい

屋上から多摩川を望む。

屋上から多摩川を望む。

当時、都内最大級のマンション開発事業であった「パークハウス多摩川」。このビッグプロジェクトを実現したのは、多摩川沿いの広大な土地を手に入れることができたという幸運と、急激に拡大していた東京の経済的なパワー、そして時代の波に乗って「東京で最善のマンションをつくりたい」という思いを秘めていた関係者たちの熱意だった。当時の計画づくりの背景を知る平生進一は振り返る。

「通常のマンション開発は、まず立地を分析し、その物件に合ったお客様像をイメージするところから始まります。そしてできるだけ短い期間で工事を行い、販売する。それが常識的なマーケティングです。でも『パークハウス多摩川』は違います。マーケティング以前に、『東京で最善のマンションをつくりたい!』『100年経っても恥ずかしくないものをつくる』という一念がありました。豪華さを競うマンションではなく、時代の変遷に耐えうる本物のマンション。今後の基準、指針となるようなプロトタイプを本気でめざしました」

実はメンバーのうちの何名かは「パークハウス多摩川」を手がける直前に、港区・広尾で他のデベロッパーとの共同事業として「広尾ガーデンヒルズ」に取り組んでいた。大きな話題を呼んだプロジェクトだったが、マーケティング的にはきわめてスタンダードなもの。都心の大規模物件としてチャレンジングな取り組みだったが、共同事業という制約もあった。必ずしも当社の思いや考え方が実現できたわけではなかったのだ。「広尾で実現できなかったことを、ここで実現したい」。そんな思いを関係者たちは抱いていたと平生は続ける。

「マーケティング的、モノづくり的にいえばとても珍しいケースです。何しろ、都心に建てられた『広尾ガーデンヒルズ』だから可能だと思われていたことを、都内とはいえ、この場所で、しかも広尾以上のものをつくろうとしたのですから」

東京で人間らしい住まいを実現する

「パークハウス多摩川」全体配棟計画図。

「パークハウス多摩川」全体配棟計画図。なだらかにカーブを描く敷地内通路は、優雅で落ち着いた雰囲気を生み出している。災害時には多摩川に抜けられる避難通路にもなる。

さらにもうひとつ、関係者たちには解決したい課題があった。それは「東京の住宅に人間らしさを取り戻す」ということ。

時代はバブル期へと突入していた。3,000万メガロポリス東京の経済力はイタリアやカナダと肩を並べ、東京圏のGDPはフランスを追い抜き、西ドイツに迫る勢いだった。東京は活気に満ち、企業の東京進出にも拍車がかかり、必然的に地価も高騰。東京は価格面でも立地面でも、深刻な住宅取得難に陥っていた。結果として、多くの住宅が「ウサギ小屋」のそしりを免れず、一方で金余りを狙った10億、20億、それ以上といったスーパー億ションが次々と出現。日本の都市住宅は、完全にスタンダードを見失っていた。

そんな時代背景の中、「パークハウス多摩川」は、東京で最善のマンションを目指すとともに「東京にこそ人間らしい、優しさに包まれた住宅をつくりたい」「東京の住まいの新しいプロトタイプをつくりたい」という思いが込められていた。設計担当者が振り返る。

「ここは、都心からは少し離れているけれど、スケール的にまとまっているし、何よりも多摩川に面していて緑に恵まれています。高級住宅街である田園調布も近くにあって、イメージ的にもいい。『広尾ガーデンヒルズ』で得られた経験を、次はここで活かしてみたい。ここなら自分たちが考える理想の姿を貫けると思いました」

いいものをつくりたいという技術者の願いと、東京にふさわしい居住空間を生み出すという時代の要請が、この地でピタリと重なり合った。

ザ・パークハウスを紐解く、6つのストーリー

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