2003年(平成15年)10月「M.M.TOWERS」竣工

2003年(平成15年)10月「M.M.TOWERS」竣工

横浜みなとみらい21で先取りした、新しい時代の街づくり・住まいづくり

パート1
大都市エリアでのゼロからの街づくり

みなとみらい初のマンションM.M.TOWERS

みなとみらい初のマンションとして誕生

みなとみらい初のマンションとして誕生

ショッピングモールや美術館、遊園地…休日、多くの観光客で賑わう「みなとみらい」。2004年のみなとみらい線の開通により、利便性が増し、ますます多くの人が訪れるようになっている。観光エリアとして人気のみなとみらいは、同時にビジネスエリアとして大きく発展している。さまざまな企業が拠点を置き、最近では世界的なIT企業の進出が話題となった。

観光エリアとして、ビジネスエリアとして、多彩な側面を持つみなとみらい。そこにさらに「居住エリア」としての魅力を付け加えたのが、みなとみらい初のマンションとして2003年に竣工した「M.M.TOWERS」だ。

総戸数862戸。East、West、Southの3棟が建つ敷地内には木々が豊かに茂る庭園があり、海からの風を受けながら、さわやかな緑を楽しむことができる。

その名の通り「21世紀にふさわしい未来型都市」をめざして現在も開発が進められているみなとみらい。その中に位置するM.M.TOWERSは、これからの街づくり・住まいづくりについて、当社の想いをカタチにした象徴的な物件。その取り組みを紹介する前に、まずはみなとみらいの歴史をひも解いていこう。

街づくりのオーソリティーとして参画

M.M.TOWERS全景。右奥に立つのは、横浜ランドマークタワー。

M.M.TOWERS全景。右奥に立つのは、横浜ランドマークタワー。

横浜ランドマークタワーの敷地内にあるドックヤードガーデン(国重要文化財)は、「旧横浜船渠第2号ドック」を復元したもの。

横浜ランドマークタワーの敷地内にあるドックヤードガーデン(国重要文化財)は、「旧横浜船渠第2号ドック」を復元したもの。

みなとみらいの構想は、1965年(昭和40年)までさかのぼる。当時、横浜市の中心市街は、江戸時代末期の横浜開港以来発展を遂げてきた関内・伊勢佐木町地区と、第2次世界大戦後、発展を遂げた横浜駅周辺地区の2か所に分かれていた。その2つの地区の間には三菱重工業横浜造船所や鉄道施設、港湾施設などの工業地帯が広がっており、横浜市はこのエリアを再開発することで2つに分かれている中心市街を結び、大きな新都心をつくり出そうと考えていた。

一方、高度経済成長という時代の追い風を受け、大型船の受注が相次いでいた三菱重工業は、明治時代に建造された横浜造船所の生産能力が限界に達し、移転を模索していた。

この両者の考えが一致して誕生したのが、工業地帯の跡地110haに新たな埋立地76haを加え、合計186haにまで拡大した「みなとみらい21事業(当時は名称は未定)」だ。

このような経緯をふまえ、当社は街づくりのプロフェッショナルとして、この再開発事業に参画することになった。

みなとみらいの再開発計画は、途中、オイルショックなど計画の進展が不透明になる時期もあったが、1980年(昭和55年)、三菱重工業が横浜造船所の移転を正式に決定。1983年(昭和58年)には、三菱地所が横浜造船所跡地31haのうち20haを取得し、みなとみらいにおいて民間で最大の地権者として街づくりをスタートさせた。

この間に事業の基本構想や「みなとみらい21」という愛称も決定。当時、三菱地所の社長を務めていた伊藤達二は、この事業に取り組む意欲を次のように語った。

「丸の内をはじめ全国各地での大規模ニュータウン建設等を通じて培ってきたデベロッパーとしてのノウハウと、社内の事業エネルギーのすべてを傾け、社運をかける覚悟で事業に取り組む」

こうして構想の発表から18年の歳月を経て、就業人口19万人、居住人口1万人をめざす戦後最大級の都市再開発プロジェクト「みなとみらい21」事業がスタート。1984年(昭和59年)には、街づくりの調整や推進、PRなどを担う株式会社みなとみらい21が発足。1988年(昭和63年)には、街づくりのテーマや土地利用イメージなどを盛り込んだ「みなとみらい21街づくり基本協定」が締結され、21世紀にむけての街づくりは着々と進んでいった。

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